2011年10月30日日曜日

プレヴィン&N響のトゥランガリラ

  • オリヴィエ・メシアン:トゥランガリラ交響曲
アンドレ・プレヴィン指揮、NHK交響楽団、児玉桃(ピアノ)、原田節(オンド・マルトノ)
10月21日 NHKホール 19:00~

所用で東京に行った「ついで」に初N響定期、初NHKホール、初プレヴィン。手押し車(?)を押しながらノロノロと舞台袖から出てくるプレヴィンを見ていると、「本当にこのおじいちゃんがこれから80分かかる大作を振るの? 大体どうやってこんなヨボヨボのおじいちゃんが飛行機に乗って東京まで来たの? かつて颯爽とウェストコーストジャズを弾いていた人が歳を取るとこんな風になっちゃうんだ」といろんな思いがよぎった。

後で振りかえってみると、プレヴィンを見た瞬間に呪縛されながらずっとコンサートを聞いていたのかもしれない。なんだかんだいって、やっぱり視覚の力って大きい。トゥランガリラ交響曲って大好きで、いろんな演奏を聞いてきたつもりだけど、こんなに間延びしたトゥランガリラ交響曲は初めて。でもその分、いろんな音が聞こえてきた。顕微鏡で拡大してトゥランガリラの細胞を覗きこむような。これでもう少し凄みが出れば最高だったけど、それはNHKホールの3階2列目では無理かもしれない(と言っても金が…)。遅いと言えばチェリビダッケだが、むしろクレンペラー、あるいはプレートルの音の作り方に近いかも。ところどころアンサンブルが危うかったが、指揮者のせいなのかオケのせいなのか、あるいはソリストのせいなのかは不明。

プレヴィンがあと10歳若ければ、という思いがよぎったことは確かだけど、これはこれで面白かった。

2011年10月8日土曜日

映画:THE EXTERNAL WORLD

映画:Sugar

Sapporo Short Fest 2011 オールナイト上映

ただ今、第6回札幌国際短編映画祭を開催中。
こういうのは知らない監督、知らない俳優ばかりなので、いつもより好き勝手な感想を抱ける。でも今年は時間がないので(??)、オールナイト上映でまとめて見ることに。見たのは、インターナショナル・プログラムのBからF。夜の10時から朝の7時半まで。楽しかった。帰ると、すぐに寝てしまったけど。せっかくなので、備忘録として印象に残った作品の感想を。

ラ・デタント(I-B)
ピエール・デュコス、バートランド・ベイ/2011、フランス、8:30
鮮やかでスピード感あふれるアニメーション。

キス・ビル(I-B)
イナ・ホルムクイスト、エメリ・ウォールゲン/2010、スウェーデン、29:00
某ドイツのロック・ミュージシャンに憧れるスウェーデンの仲良し女学生2人がベルリンに行く話。この2人、実はロシア系移民の子というのが重要な背景ではないかと思う。フィクションだと思っていたが、ドキュメンタリーと知って驚き。

ブロークン・ナイト(I-B)
ヤン・ヒョジョ/2010、韓国、23:00
なかなか怖い話。でももっとグロテスクにできそう。

シュガー(I-C)
ジェローム・アノッケ/2010、オランダ、7:35
人が事故死するという笑ってはいけないお話(エッチなショットもあり)を、爆笑コメディに仕立て上げる才能に脱帽。

カタルシス(I-C)
セドリック・プレヴォスト/2010、フランス、18:00
始終映画のことを考えている映画監督の頭の中を映画化するとこうなるんじゃなかろうか。

リン(I-C)
ピアス・トンプソン/2010、イギリス、25:00
プログラムには「見知らぬ港街」と書いてあるが、街の人はロシア語をしゃべっている。話の展開をちゃんと呑みこめたわけではないが、ひょっとしてタルコフスキーを意識しているとか?

ベイビー(I-D)
ダニエル・マロイ/2010、イギリス、25:00
伏線の張り方がうまい。でも、この主人公の行動はどのように理解すればいいのだろう。特に女性に聞いてみたい。

エクスターナル・ワールド(I-C)
デイビッド・オレイリー/2010、ドイツ、15:00
エロ・グロ・ナンセンスの極みのようなアニメーション。ここまで徹底的に「バカ」をやってくれればスッキリする。ちなみに、作者はどうやら日本のアニメやゲームが好きらしい。

ゲッティング・エアー(I-F)
マーク・ノーナン/2010、アイルランド、8:00
母子家庭の親子の孤独と愛。

リリー(I-F)
カシミール・バージェス/2010、オーストラリア、15:00
明らかにヴィスコンティの「ヴェニスに死す」を意識している。

ジョッシュ・コンディション(I-F)
ユルキ・ランタスオ/2011、アメリカ、26:32
アメリカ版草食系男子の夢物語をコメディーにしたら。

2011年8月27日土曜日

今井信子とヴォワラ・ヴィオラ

  1. ヘンデル/フォーブス:シバの女王の入場
  2. ガース・ノックス:Viola Spaceより、Pizzicato "nine fingers", Bow directions "Up, down, sideways, round"
  3. エディット・ピアフ:バラ色の人生ほか
  4. 西村朗:8つのヴィオラのための<桜>
  5. 武満徹:鳥が道に降りてきた
  6. J.S. バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番変ロ長調 BWV1051
今井信子ほか(ヴィオラ)、飯村智子(ピアノ)
2011年8月23日 えぽあホール(江別市民文化ホール) 19:00~

今井信子によるマスタークラスの発表会。以前も冬の小樽で似たような企画を聞いたことがある。今井信子は北海道が好きなのか。とりあえずこれが1000円というのは安い。

7人の若手奏者が参加していたが、ご多分にもれずヴィオラのテクニックも上がっているなあと感嘆したのが第一印象。特にアンサンブル・モデルンのメンバーになっているという笹川恵さん。上手い!こういう人に一体何を教えるのだろうという気がする。笹川さんほか、3人の若手で弾いたガース・ノックスのヴィオラ・スペースというヴィオラの特殊奏法の練習曲がユーモアに富んでいて、今回のプログラムの中で一番面白かった。

その一方、武満徹の作品が鳴りはじめたときに、今井信子も全盛期が過ぎたか?と思った。テクニック的には若手のほうが上手いかもしれない。ただ後半、鳴っている音がだんだん貫禄を帯びてくると、この人も、テクニック的には衰えても、「別のもの」を身につけるようになったのかもと思いなおした。それは人によっては「精神性」というだろうし、私なら「呼吸の深さ」というだろうか。今井信子自信は何と表現するだろう。より深い「愛」かな?

というのも、プログラムの中に「彼ら(生徒たち)の「愛」が舞台から、皆様にどうか届きますように」と書いてあったので。それは何か伝わった気がする。

2011年8月20日土曜日

札響、8月の定期演奏会

  1. ベンジャミン・ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム 作品20
  2. セルゲイ・プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調 作品26
  3. ヨハネス・ブラームス:交響曲第2番ニ長調 作品73
高関健指揮、札幌交響楽団、小川典子(ピアノ)
2011年8月19日 札幌コンサートホールKitara 19:00~

最近、ペテルブルグでのコンサート三昧の日々が懐かしくなってきた…。

なぜかオフシーズンであるはずの8月に定期演奏会。開演前に、指揮者の高関健氏のプレトーク。高関氏によると、ブリテンは当初、この曲に「レクイエム」以外の名称を与えることも考えていたフシがあるという。またこの曲は、日本の皇紀2600年奉祝曲として委嘱されたものの、「レクイエム」というタイトルのために演奏を拒否されたということで有名だが、実は単純にスコアが届くのが遅れて準備が間に合わなかったらしいとか、いろいろと興味深いお話。

肝心の演奏だが、ブリテンは遅めのテンポで丁寧に仕上げている。第2楽章「怒りの日」なんて、たぶん相当難しいはずだが、札響は危なげない。札響って上手いなあと改めて思う。そういえば音楽監督の尾高忠明はイギリス音楽が得意だったんだ。

でもなぜか物足りなさが残った。この曲が持っているはずの切迫感が伝わってこない。実はこの日の演奏会、3曲とも丁寧に仕上げているはずなのに、なぜか迫ってくるものがなかった。丁寧に仕上げすぎて、お行儀がよくなってしまったということか。

プロコフィエフにしても、小川典子のピアノともども、もっとプロコフィエフの「才気煥発」を感じさせてほしかったし、ブラームスについては言わずもがな。今の日本のプロオケにとって、ブラームスを破たんなく弾くなんて造作もないことだろうけど、問題はその先。ブラームスって難しいなあと改めて思った。日本のクラシックファンの間で未だに本場もの信仰が抜けなかったり、晩年の朝比奈隆が神格化されたり、ということも、この辺りと関係があるのだろう。

実はブラームスの第1楽章の最初のほうで、客席の後ろのほうで奇声を発する人がいた。すぐに出ていったので、それほど大きなことにはならなかったが。さすがに高関健が棒を振りながら怖い顔をして振りむいたが、第1楽章が終わった後、問題の人がいなくなったことを確認して、ニコッとして第2楽章を振りはじめたのが印象的だった。

2011年6月10日金曜日

2年ぶりの札響

  1. ドミートリ・ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番ハ短調 作品35
  2. オットリーノ・レスピーギ:交響詩「ローマの祭」「ローマの噴水」「ローマの松」
秋山和慶指揮、札幌交響楽団、小曽根真(ピアノ)、福田善亮(トランペット)
6月10日 札幌コンサートホール Kitara 19:00~

帰国して1月以上。バタバタしていたけど、やっと落ちついてきた。

ペテルブルグでオケのコンサートに通っている間、ずっと思っていたのが、札幌に戻ったら札響をもう一度聞いてみたいということ。フィルハーモニーやマリインスキーに通うたびに、「ひょっとして札響のほうが優秀では?」と思ったが、記憶が美化されている可能性もあった。そこでぜひ、もう一度自分の耳で確かめたかった。しかも今回のコンサートは小曽根真がショスタコーヴィチに挑戦!!実は当初、セルゲイ・ナカリャコフも登場する予定だったのだが、震災の影響で中止。残念。レスピーギのローマ三部作も、クラシックに馴染みはじめた当初から聞いている曲なのに、生で聞くのは初めて。というわけで、結構楽しみにしていたコンサート。チケット代が一番安くても3000円というのには、ロシアの感覚に慣れたものからするとちょっと抵抗があったが、それでも4500円のチケットを買ってしまったのだから。

まずはショスタコーヴィチ。ずいぶんと生真面目に進む。ショスタコーヴィチのユーモアな側面が出た曲なのだから、もうちょっと遊び心が欲しいなあと思いつつ聞いていたが、終楽章になって、「遊び」が飛び出した。小曽根が楽譜にない音を弾いてオケと掛け合いを始め、最後のカデンツァでは案の定、即興的にやりたい放題。でも原曲がパロディのオンパレードなのだから、これはこれでいいと思う。

ただ圧巻だったのは、アンコール。先日亡くなったレイ・ブライアントにちなんで(あ、こないだまで生きていたんだと失礼なことを思ってしまったが)、小曽根がピアニストになるきっかけとなった曲、クバノ・チャントを弾いてくれた。まさしく水を得た魚というか、圧倒的なグルーブ感。この人はジャズの人なんだということを、実感した。クラシックのコンサートに行ってジャズまで聞けて、得した気分になったものの、自らの正体をばらすような曲をアンコールで弾いてしまって、はたして良かったのかどうか。

札響って、やっぱりマリ○ンスキーのオケよりずっと良いと思ったのは、後半のレスピーギ。たとえば最初の「祭り」の冒頭部。トランペットのファンファーレが気持ちいい。金管の迫力はロシアのオケのほうが上ではないかと思っていたが、そうではなった。札響も負けてはいない。個人技では負けるかもしれないが、札響の場合、音程が綺麗に揃っているので、音がよく飛ぶのだ。しかもレスピーギの凝った管弦楽法にも関わらず、いろんな音が耳に飛び込んでくる。もちろん指揮者がちゃんとスコアを咀嚼して、オケの団員がお互いの音を聞きあっているからだろうし、キタラというホールの音響のよさを実感した。ロシアのオケの場合、ちゃんとお互い聞きあってるの?と疑いたくなる時がある。

当然、課題もあって、主顕祭やアッピア街道では音が硬くなってしまったし、10月祭の最後はもっと甘美に歌ってほしいと思う。でも間違いなく、オケのレベルはマリ○ンスキーより上。別にマリ○ンスキーの来日公演に行く価値がないとは言わないが、日本のオケにももっと誇りを持ちましょうよと、声を大にして言いたい。

<余談>
コンサートに行く前に、タワーレコードの札幌店に2年ぶりに寄ってみたら、クラシックのコーナーが4分の3ほどに縮小されていた。ショック…。でもこれが時代の流れなのだろう。

2011年4月27日水曜日

最後の演奏会~フィルハーモニーで聞くブルックナーの8番

  • アントン・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
マリオ・ベンザーゴ指揮、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団
4月27日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

とうとうペテルブルグを去る2日前になってしまった。さすがにバタバタとして落ちつかない。それでも、2月以来行っていなかったフィルハーモニーにもう一度行っておきたかった。なぜか最近、ここのフィルハーモニーでもブルックナーが取りあげられるようになっている。私は行かなかったが、7番も9番もすでにやっている。一過性のものなのか、このままブルックナーがロシアでも根付くのか。

ここのオケ、いわゆるドイツ的な重厚さはないものの、金管はよく鳴るので、ブルックナーも悪くないかもしれないと思っていたが、まあ予想通りの演奏。アンサンブルのタガがゆるくて、イマイチどっしり感がないのだが、トランペット、トロンボーン、チューバはよく鳴るので(ただしホルンとワーグナーチューバはパッとしない)、「そこそこ」満足。

重厚さがなかったのはオケの個性に加えて、指揮者がそもそもそんなものを求めていないということも大きいだろう。初めて聞く指揮者だけど、かなり早目のテンポ設定。全部で80分かかっていない。終楽章、コーダの快速テンポにはビックリ。これでオケにもっと機動力があったら、ブルックナーの斬新な側面がもっと見えて面白く聞けたのだろうが、オケの反応が鈍かったのは残念。ちなみに、版はノヴァーク版だったと思う。ロシアのコンサートではブルックナーに限らず、複数の版がある場合でもどのバージョンを使うのか全然告知してくれない。ロシア人はこういうのに無頓着である。

今日のチケットは学生券で100ルーブル!!気軽にこういう演奏会に行けるのが、ロシア生活の好きなところだった。

2011年4月25日月曜日

ムストネンのロシアン・プログラム

  1. ピョートル・チャイコフスキー:「四季」作品34
  2. ロディオン・シチェドリン:前奏曲とフーガ第21,2、13,14,15番
  3. アレクサンドル・スクリャービン:6つの前奏曲 作品13
  4. 同上:5つの前奏曲 作品16
  5. 同上:ピアノ・ソナタ第10番 作品70
  6. 同上:詩曲「焔に向かって」作品72
オリ・ムストネン(ピアノ)
4月24日 マリインスキーコンサートホール 19:00~

ムストネンのコンサートが全席300ルーブル!!先週のアンスネスに続いて、日本ではありえない価格設定。しかも結構空席が目立っているし。いや、партер(パルテル。中央の観覧席)は大体埋まっているので、まだましかも。一番前の席で拝聴。

まずは見ていて気がついたことから。この人、結構な汗かきである。ずっと右腕で汗をぬぐいながら演奏する。すべての曲で楽譜を置いて演奏するのも特徴。また、手をブルブルと震わせながら、鍵盤に触れる。まるでフルトヴェングラーの指揮のようだ(違うか?)。

最初はチャイコフスキーの「四季」。チャイコフスキーのピアノソロ作品の中では最も有名なものだが、初めて聞いたので、よく分からないまま過ぎてしまった。ただ同じ初めて聞く作品でも、シチェドリンのほうは楽しめたのだから、結局私は20世紀の作品が好きだということなのだろう。ピアノを弾けないくせにこんなことを書くのはおこがましいけど、シチェドリンがピアノの名手だということを思い出した。いかにも20世紀的な音の進行、和声なのに、ピアノの鳴り方が自然だと感じる。これ、意外な名作ではなかろうか。私がムストネンに着目するようになったのは、彼がバッハとショスタコーヴィチの前奏曲とフーガを組みあわせたディスクを出してからだが、シチェドリンの前奏曲とフーガも録音してほしい。でもレコード会社が渋るだろうなあ。

後半のスクリャービンは、ちょっと洗練されすぎというか、もうちょっとエロチックにドロドロやってくれたほうが好み。特に初期の前奏曲集は、もっと甘酸っぱさが欲しい。ソナタの10番も、個人的にはもっと粘っこいほうが個人的なイメージに合う。ただトリルの鳴らし方は見事。確かに何やら妙な(性的な?)快感がある。CDだったら、トリルを聞きたくて何回もかけるかも。「焔に向かって」では神秘和音が実に綺麗に響いた。

2011年4月16日土曜日

アンスネス in St. Petersburg

  1. ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:ピアノソナタ第21番ハ長調 作品53 「ワルトシュタイン」
  2. ヨハネス・ブラームス:4つのバラード 作品10
  3. アーノルド・シェーンベルク:6つの小品 作品19
  4. ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番ハ短調 作品111
レイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノ)
4月16日 マリインスキーコンサートホール 19:00~

今をときめくピアニスト、アンスネスとのコンサートがわずか400ルーブル(一番高い席で!)で聞けてしまう。にもかかわらず、空席がある。ありえない、日本ではありえないことである。実は4作品とも、個人的にはそんなに馴染みのある曲ではないが、凝ったプログラムだと思う。両端にベートーヴェンを配し、ドイツのピアノ音楽の系譜を旅するといった趣か。帰宅後調べてみると、実は4曲ともアンスネスは録音していないようだ。アンスネスが未だにベートーヴェンをまったく録音していないというのは意外だった。

さて演奏だが、「ワルトシュタイン」(なぜかロシアでは「オーロラ」というあだ名が付けられているらしい)の冒頭からして快調。でも、特にこれといった特徴は感じなかった。「お、これは!」と思ったのは、第3楽章に入ってから。「泉が湧きでるように」という形容がぴったりの、流れるような音楽。素晴らしい!

ブラームスは、途中で寝てしまったので、何とも言えず…。

驚いたのはシェーンベルク。持ち前のタッチの美しさを発揮して、シェーンベルクがこんなにロマンチックでいいの!?と言いたくなるくらい、美しく温かさを感じさせる演奏を披露してくれた。シェーンベルクって、もっと息を押し殺して聞くものではなかったかしら? 最近はシェーンベルクの保守的な側面が強調されることも多いけど、ここまでロマンチックなのは驚き。それも初期の作品ならともかく、すでに無調に入っている作品で。ぜひアンスネスには、シェーンベルクをはじめとして新ウィーン楽派を録音してほしい。

最後のベートーヴェンは、やや気負いが感じられた。第2楽章の中間部など、突然スウィングジャズが始まったようで、とても面白かったけど。でもあれこれ論評する以前に、こちらがもっとベートーヴェンの後期の様式に親しむ必要がある気がする。

何がともあれ、これで400ルーブルとはお得な演奏会だった。

2011年4月1日金曜日

ロシアのプログレ~Carmina Moriturorum


  • ZGA: Carmina Mortiturorum
3月31日 ESG 21 20:00~

ペテルブルグを去る1月前になって、また変なところを見つけてしまう。モスクワ駅の近くにある、Experimental Sound Gallery 21というライブハウス。ホームページはこちら(ロシア語)。モスクワには、実験的なライブを夜な夜な繰りひろげる、「ドム」という名のユニークなライブハウスがあるが、さしずめそのペテルブルグ支部とでもいったところだろうか。

古ぼけた建物の中をかなり奥のほうまで入っていかなければならない。事前にホームページで場所をチェックしていないと、たどり着くのは難しいだろう。街の中心部にあるのだが、併設されているカフェには怪しい場末の雰囲気が漂う。古いヨーロッパ映画にでも出てきそうだ。

聞いたのは、ZGAというバンドが演奏するCarmina Mortiturorum (運命の歌)という1時間ほどの曲。編成は女声ヴォーカル、アコーディオン、ヴァイオリン、ベース、トロンボーン、ドラムスにサンプリングが加わる。トロンボーンとサンプリングを担当する人以外は全員女性。でも作曲したのは、Nick Sudnickという、サンプリングを担当した人のようだ。オリジナルはこれに弦楽合奏が加わる。それを担当しているのが、実はOpus Posth 。ここからも明らかなように、典型的な「プログレ」の世界が繰りひろげられた。詳しくはこちら。全編ラテン語での歌唱。

そもそもロックなんてめったに聞かないので、これがロシアに特有のものなのか、あるいはもっと普遍的なものなのか、よく分からない。でも自分にとっては、新しい面白い世界。世界の果てのような場所で、日常の瑣事を忘れてこういう世界にどっぷり使っているときが、一番幸せだと感じる。

2011年3月30日水曜日

エマーソン弦楽四重奏団 in St. Petersburg

  1. フェリックス・メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第5番変ホ長調 作品44-3
  2. ドミートリ・ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番ハ短調 作品110
  3. ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4番ハ短調 作品131
エマーソン弦楽四重奏団
3月30日 マリインスキー・コンサートホール 19:00~

何度も書いているように、私は弦楽四重奏が苦手である。それでもこんな世界的な団体が、わずか1000円程度で聞けてしまうとなれば、行かないわけにはいかない。弦楽四重奏のコンサートはあまり客の入りがよくないのが常だが、今日は後方に空席が目立った以外は、かなり客が入っていた。

最初のメンデルスゾーンは、昼間の疲れが出て寝てしまった。したがってノーコメント。

続いてショスタコーヴィチ。私は彼の交響曲は大好きだけど、弦楽四重奏曲には未だになじめない。実はベートーヴェンもそう。これはつまり弦楽四重奏という形式が苦手ということなんだと、自分に言い聞かせている。

と言っても、弦楽四重奏曲の8番は、ショスタコーヴィチ・ファンの間では有名な曲なので、曲の流れは大体頭に入っている。ちなみに手持ちのCDは、定評あるボロディン四重奏団のもの。両者を比べると、第2、第3楽章ではボロディンの厳しさに比べて物足りなさを感じたが、第4、第5楽章ではむしろエマーソンの歌わせ方のほうが気にいった。柔らかいソファーのような厚みとでも言うのだろうか、身をゆだねたくなるような安らぎがあった。エマーソン=スポーティというイメージを勝手に作っていたため、これは嬉しい意外な発見。

一方、ベートーヴェンは各楽章のキャラクターの描き分けが上手かったが、やはり終楽章のカッコよさが一番の聞きものだったような気がする。こちらは、従来のエマーソンのイメージに近い演奏だったのではないか。最後まで聞きおわってみると、確かにこの人たち凄いかもと、納得させられた。それにしてもベートーヴェンは、晩年に何でこんな不思議な曲を書いたのだろう。

<追記>
エマーソンって、チェリスト以外は立って演奏するんだ。こういう形態は初めて見た。

2011年3月27日日曜日

ヴェルディのオペラ初体験~ローマ歌劇場の「ナブッコ」

  • ジュゼッペ・ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」(演奏会形式)
ニコラ・パシュコフスキ指揮、ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団、ダリオ・ソラリ(ナブッコ)、アントニオ・ポリ(イズマエーレ)、ドミートリ・ベロセリスキー(大司教)、ヴィクトリア・チェンスカ(アビガイッレ)ほか
3月27日 マリインスキー劇場 19:00~

1月の末、マリインスキーのサイトを見ていると、リッカルド・ムーティが3月の終わりにマリインスキーにやってくるという告知が!!曲目はヴェルディの「ナブッコ」を演奏会形式で。普段はヴェルディなんて見向きもしない私も、おおこれは行かねばなるまいというわけで、すぐに1200ルーブルのチケットを購入。ムーティは1993年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで出会って以来(ニューイヤーを見たのも、それが最初だった)、ちょっと思い入れのある指揮者なのだ。ところがムーティは2月の初めに倒れてしまい、今日の演奏会もキャンセル。残念…。しかも払い戻しなしって、オイオイ。

でもおかげで、ヴェルディのオペラを初めて全曲通して聞くことができた。こんな機会でもなければ、ヴェルディに耳を傾けることなんて、ないだろうから。長くなるので書かないが、ワーグナーと対照的な面がいろいろ発見できて、その意味では面白かった。クラヲタを自認するならば、好き嫌いを抜きにして、有名な作曲家の作品を一通り耳にしておくべきなのかも。

演奏の出来は…いいのか悪いのかよく分からない。なにしろ比較できないから。オーケストラは、もう少し音に潤いが欲しいと思ったけど、これは会場のせいもあるのかもしれない(何でコンサートホールでやらなかったんだ!!)。知名度が高くなく、もっと下手かと覚悟していたけど、意外と整ったアンサンブルを聞かせてくれた。それにこの軽い感じは、ロシアのオケにはなかなか出せない。余談だが、ピッコロのおじさんが「あんたソリストか!」と言いたくなるぐらい大きな身振りで演奏していて、可笑しかった。独唱も合唱も自家薬籠中という感じで、良かったのではないだろうか(いや、あまり自信をもって言えないけど)。

むしろ印象に残ったのは、観客の反応。有名な「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」の後など、熱狂的な拍手が鳴りやまず、もう一度歌ったぐらい。ロシアの人たちは、自分たちの「愛国心」をこの歌に重ねたのだろうか?もちろん全曲終わった後は、盛大な拍手とスタンディングオベーション。あ、今日の演奏ってそんな名演だったの?もしかして今日の私は、「猫に小判」状態だったのかもしれない。

2011年3月18日金曜日

ベルクとR. シュトラウス

  1. アルバン・ベルク:ヴァイオリン協奏曲
  2. リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 作品40
ワレリー・ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団、ライナー・ホーネック(ヴァイオリン)
3月17日 マリインスキーコンサートホール 19:00~

ロシアでも地震、津波、原発のことが大きく報道されて、いろんなロシア人から「あなたの親戚は大丈夫だったの?」と聞かれた。幸い、親戚に犠牲者は出なかったが…。こういう大災害の後だと、今日のプログラムが生と死の対比のように思えてくる。演奏する団員のほうは、さぞかし大変だろうが。案の定、開演時間の19時になっても、まだ会場に入れず、「英雄の生涯」を練習している音が聞こえていた。結局、20分ほど遅れてスタート。

ベルクは、昨秋にフィルハーモニーで聞いた演奏よりも、ずっと良かった。あの時予想した通り、こういう曲はフィルハーモニーよりもマリインスキー(というかゲルギエフ)のほうが上手い。ゲルギエフはこういう複雑な曲を上手に整理する。またライナー・ホーネックのヴァイオリンが、いい意味で「甘い」。ベルクがウィーンの作曲家だということを認識させられた。3拍子のリズムが、オーケストラともどもまさしくワルツとして響く。

一方、「英雄の生涯」のほうは、先週聞いた「ナクソス島のアリアドネ」と同じ感想。こんな重量級のプログラムにもかかわらず、オーケストラがちゃんと練習してきたのは誉めたいけれど、何か物足りない。ここには、さっきあったはずの「甘さ」がない。陶酔できない。ああ、なんで。音は並んでいるはずなのに。

考えてみると、今日がゲルギエフを聞く最後の機会だったかもしれない。この2年間、いろいろな演奏を聞かせてくれた人で、手放しで誉めることはできないが、これだけ多く接すると、名演も駄演もひっくるめて、大切な思い出のような気がしてくる。

2011年3月8日火曜日

ナクソス島のアリアドネ by ゲルギエフ

  • リヒャルト・シュトラウス:歌劇「ナクソス島のアリアドネ」
ワレリー・ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団、アンナ・マルカロヴァ(アリアドネ)、オリガ・プドヴァ(ツェルビネッタ)ほか
3月8日 マリインスキー・コンサートホール 19:00~

完全に初めて聞くオペラ。コンサートホールだったが、演奏会形式ではなく普通に上演。ただし前半はロシア語歌唱。後半の劇中劇の部分はドイツ語。

まず曲については、素晴らしいと思う。「ばらの騎士」に続く美の極致。ドイツ・ロマン派の最後の輝きとでもいおうか、ストラヴィンスキーが「春の祭典」を書き、シェーンベルクが無調で新しい表現を模索するなか、同時期にこんな作品が書かれていたのだと思うと、感慨深い。たぶん同時代の人にとっては、R. シュトラウスの世界こそが、最も親しみのある「現代の音楽」だったのだろうけど。

が、演奏について満足できたかと言われると、それは…。歌手は割と水準が高かったような気がする。特に要となるアリアドネとツェルビネッタの2人は見事で、「あれ、マリインスキーの歌手って意外と水準高いじゃん」と見なおした。実を言うと、マリインスキーの歌手って、あんまり評価していない。ドイツ語を歌っているはずなのにロシア語に聞こえるし、声量もあまりなかったりするし。でも今日は良かった。

オケは少数精鋭。出来不出来の激しいオケで、しばしば練習不足が露呈するが、今日はリハーサルをちゃんとやって来ていた。もともと各セクションのトップは上手いので、36名だといつもよりいいオケのように感じる。

では何が不満なのかというと、演奏の水準は低くないはずなのに、なぜか陶酔できない。そう、ゲルギエフの演奏を聞いていてよく不満になるのは、この「陶酔」という感覚になかなか出合えないからだ(少なくとも私は)。特に後半、めくるめく美しいアリアの波状攻撃に加え、わずか36名とは思えないオーケストラの色彩美がかぶさるのだから、もっと目頭が熱くなってもいいんじゃないの、と思ってしまった。

このプロダクションは今日が初演だったため、もしかしたら今後、もっと美しい演奏になるかもしれないが。

2011年3月6日日曜日

ゲルギエフ+イブラギモヴァ

  1. ミハイル・グリンカ:交響的幻想曲「カマリンスカヤ」
  2. ロディオン・シチェドリン:管弦楽のためのロマンチックな音楽「アンナ・カレーニナ」
  3. セルゲイ・プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 作品19
  4. ピョートル・チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 作品36
ワレリー・ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団、アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
3月5日 マリインスキー・コンサートホール 20:00~

いつもながら、ゲルギエフのプログラムはヘビーである。こちらもそれに慣れてしまうが、いいのだろうか。

1曲目のグリンカは初めて聞く。アンサンブルはイマイチ。途中からアップテンポになるが、弦楽器が明らかに乱れている。

その点、多少音程を外してもばれないというのもあるかもしれないが、シチェドリンのほうが出来がよかった。これも聞くのは初めて。割と聞きやすい重厚な曲で(あくまでも、20世紀後半の作品にしては、ということだけど)、家に帰ってからCDをネットで探したけれど、どうも元のバレエのDVDしか出ていないようだ。ゲルギエフ、録音しないかなあ。

バレエ音楽「アンナ・カレーニナ」を演奏会用に編曲したものだが、面白いのはあの手この手で鉄道の音を再現していること。まるでオネゲルのパシフィック231の拡大版。オケは4管編成に多くの打楽器を投入していて、確かに気軽にプログラムに入れるのはちょっと難しいかも。

続いてプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番。今日のお目当てのイブラギモヴァ。どんなヴァイオリニストだろうと思っていたが、とにかくピアニッシモが綺麗。そしてピアニッシモの音も装飾音符もよく聞こえきて、オケに埋もれることがほとんどない。たまたま座った位置がよかったのかもしれないが。第1、第3楽章はとても満足。個人的には、第2楽章はもっとヴァイオリンを思いっきり鳴らしてほしかったが、演奏スタイルの一貫性という点から見れば、これもありか。ゲルギエフは、こういう曲の伴奏を手堅くまとめるのが上手いと思う。

休息後のチャイコフスキー。ゲルギエフのチャイコフスキーなんて期待していなかったが、意外とよかった。最初のファンファーレから思いっきり鳴っていた。全体的に元気のいい演奏で、あまり暗さとか厳しさもなく、やや響きが混濁気味だったものの、それなりに練れていた。「ロシア風のチャイコフスキー」を求めるのでなければ(というか、ゲルギエフにそんなものは求めないけど)、十分満足できる演奏だった。

2011年2月25日金曜日

ヘルゲ・リエン・トリオ in St. Petersburg

2月23日 エルミタージュ劇場 19:00~

毎年この季節にやっている音楽エルミタージュという音楽祭の一環。この日ロシアは休日(祖国防衛の日)だったし、ノルウェーのジャズというので足を運んだ。ノルウェーのジャズ、好きなのだ。でもヘルゲ・リエンという名前は、実は初めて聞いた。

演奏は「まずまず」というところか。決して低い水準ではないが、ロシアにもノルウェーにもお気に入りのミュージシャンが結構いるので、「ものすごくよかった」というところまでは行かなかった。ただし、アンコールで弾いたテイク・ファイブは、聞きなれたメロディーが新鮮に響く見事なアレンジであり演奏だった。このことは特筆しておきたい。

でもここで書き留めておきたいのは、もうちょっと別のこと。最後の曲を演奏する前に、新譜の「Natsukashii」というアルバムからですが、と言って、「懐かしい」という言葉の解説をリーダーのリエンが始めた。「ナツカシイというのは日本語ですが、該当する英語がありません」と言われて、ちょっと驚いた。そういえば、確かにいい英単語が思いつかない。家に帰って、電子辞書(プログレッシブ和英辞典)で調べてみたら dear と出てきた。例文ではこのほか、familiar, homesick, long for 等いろんな単語が使われている。

じゃあロシア語はどうだろうと思って、研究社の和露辞典を引いてみると дорогой, милый。確かに、英語にもロシア語にもしっくりくる単語がないかも。ちょっとした発見だった。中国語とかはどうなのだろう。

もう一点。会場で「To The Little Radio」という彼らのアルバムを買った。買った理由は、日本語の帯がついていたから(笑)。ロシアで日本のCDを買うことになるとは。しかも日本より安いし(日本では2625円。こちらでは500ルーブル)。これ、ディスク・ユニオンが作ったアルバムだが、海外盤は出ていないということなのだろうか。ライナーノーツも、日本語だけ。

家に帰って最初聞いた時は、会場で聞いたアグレッシブな演奏と対照的な静かな曲ばかりだったので、物足りなく感じたが、改めて聞きなおしてみると、一本筋の通った緊張感にアルバム全体が貫かれていて、案外いいかもと思いなおした。特に6曲目の Penelope と最後の To The Little Radio が気にいった。

さて、このアルバムのタイトルにもなっている「小さなラジオに」だが、もとはクラシックの作曲家ハンス・アイスラーの作った歌曲である。どこかで聞いた名前だと思ってインターネットで調べてみたら、分かった。岡田暁生著『音楽の聞き方』(中公新書)で触れられていたのだ。あの本にはいろいろ言いたいことがあるのだけど、それはさておき、まさかこんなところで出会うことになるとは。リエンのアレンジで聞くと、より悲しみに満ちた美しいメロディーに聞こえる。


2011年2月23日水曜日

ショパン・コンクール入賞者のコンサート(3)~ルーカス・ゲニューシャス

  1. フレデリック・ショパン:24の練習曲 作品10と作品25
  2. フランツ・リスト:ピアノ・ソナタロ短調
ルーカス・ゲニューシャス(ピアノ)
2月22日 マリインスキー・コンサートホール 19:00~

まあ何と挑戦的なプログラムだろうと思った。前半でショパンの練習曲を24曲すべて弾き、後半でリストのソナタを弾くとは。と言っても正直に告白すると、「別れの曲」だとか「革命」だとか有名なやつをのぞいて、練習曲集もソナタもまともに聞いたことがないのである、私は。オタクって部分部分は専門家も顔負けの知識を持っているが、知識の偏り方がはなはだしい。

でもとりあえず行ったコンサートの感想を一通り書き留めておくという義務を自分に課しているので、思ったところを書いておくと、意外と演奏は地味。もっと「どうだ、オレって上手いだろう!!」というハデハデな演奏をするかと警戒/期待していたのだが、杞憂/不発だった。「別れの曲」なんてもっと情緒たっぷり、「革命」なんてもっと劇的にやってもよさそうなのに、割と淡白。他人がつけた標題をはぎ取り、あくまでも「練習曲」として弾く。だが演奏は徐々に熱を帯びてきて、最後のほうの数曲は確かにのっているのが分かった。

リストも同傾向の演奏だったような気がするが、初めて聞く曲でしかも30分ぶっ続けの大作なので、何ともいいがたい。特に大きな不満はなくて、リストのソナタってまた聞いてみたいと思った、という程度。曲を熟知している人ならば、いろいろな感想が浮かぶだろうけど。

むしろ印象に残っているのは、彼が舞台に姿を現した時の様子で、まるで気負ったところがなく、オーラもなく、まるで普通の若者。街を歩いている普通のお兄ちゃんが、コンサートホールにさ迷いこんでしまったという感じだった。その飄々とした雰囲気が面白い。

2011年2月18日金曜日

テツラフとフォークトのデュオ

  1. ロベルト・シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ短調 作品121
  2. ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタイ長調 K. 526
  3. ベラ・バルトーク:ヴァイオリン・ソナタ第1番
クリスチアン・テツラフ(ヴァイオリン)、ラルス・フォークト(ピアノ)
2月17日 マリインスキー・コンサートホール 19:00~

ギリギリまで行こうかどうしようか迷ったコンサート。昼間の疲れから、寝てしまうのは分かっている。でも高くても800ルーブルというチケットには惹かれるなあ(関西人のせいか、すぐに損得勘定をする)。結局、図書館で仕事を終えたのが6時前で、ちょうどいい時刻だったので、マリインスキーに向かってしまった。

240ルーブルという、一番安いチケットを購入。どうせ席がだいぶ空いているのは分かっていたので、開演直前にпартер(一階席)に移動。こちらではよく使う手。ロシアではこういうことをやってもいいどころか、むしろ奨励される。職員が、空いているいい席に移動するように促すのだ。

案の定、シューマンとモーツァルトは半分ほど寝てしまった。一方、バルトークは興奮して身を乗り出して聞いてしまった。もちろんそれだけバルトークが熱演だったということだが、前半の演奏が劣っていたわけではなくて、私の曲に対する好みの問題だと思う。なんだかんだいって、自分がシューマンやモーツァルトよりバルトークのほうが好きなことを実感。中学生のころから、なぜバルトークが「難しい音楽」の代表的な作曲家とされているのか、まるで理解できなかった。私にとっては、シューマンやモーツァルトよりもずっと親しみやすい作曲家だったのだ。

以前、ゴンチチがDJを務める「世界の快適音楽セレクション」というNHK-FMの番組で、音楽評論家の渡辺亨氏が、バルトークはむしろロックのような感覚で聞いてみるのがいいのではないかと言って、その例として弦楽四重奏曲の第4番を挙げていたような記憶があるが、ヴァイオリン・ソナタの第1番も、同じように聞くのがいいと思う。そのことを実感させてくれた演奏だった。

2011年2月15日火曜日

ショパン・コンクール入賞者のコンサート(2)~ユリアンナ・アヴデーエワ

  1. フレデリック・ショパン:スケルツォ第3番嬰ハ短調 作品39
  2. 同上:2つの夜想曲 作品27(第1番嬰ハ短調、第2番変ニ長調)
  3. 同上:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調 作品35
  4. 同上:4つのマズルカ 作品30(第1番ハ短調、第2番ロ短調、第3番変ニ長調、第4番嬰ハ短調)
  5. 同上:スケルツォ第4番ホ長調 作品54
  6. 夜想曲ロ長調 作品62-1
  7. 幻想ポロネーズ変イ長調 作品61
ユリアンナ・アヴデーエア(ピアノ)
2月15日 マリインスキーコンサートホール 19:00~

最初のうち「なんでこの人がショパン・コンクールで1位を取ったのだろう?」と疑問に思いながら聞いていた。技巧的な華やかさでは、先日聞いたトリフォノフのほうが上。彼のほうがピアノをよく鳴らしていたし、タッチも柔らかく、色彩感も豊か。

が、聞いているうちに何やらじわじわと彼女の紡ぐショパンのメロディが体に染みてきた。演奏には常に陰りがあって、長調の曲も短調に聞こえる。寂しく、不安なショパン。外見は地味なため、ともすれば一本調子な気もするが、でも何やら抗しがたい魅力がある。その意味でも、先日のトリフォノフとは対照的。あの時はなかった「暗いもの」が今日はあった。

たぶんアヴデーエアの演奏は、好き嫌いがはっきり分かれるだろう。もっと華やかなショパンを楽しみたい人、気軽にショパンを聞きたい人はいっぱいいるだろうし、そんな人に彼女の演奏は向かないかもしれない。でも好きな人はものすごく喜ぶと思う。

家でこのブログを書きながら、プログラムが調性的にもよく考えられていることが分かった。嬰ハ短調のスケルツォから同じ調の夜想曲に飛んで、2番の変ニ長調とソナタのロ短調は同じフラット5つ。その後休息ははさんで、マズルカを4つ演奏したが、マズルカ第4番の嬰ハ短調とスケルツォのホ長調は同じシャープ4つ。続いてシャープが1つ増えたロ長調の夜想曲。最後の変イ長調は一見遠そうだけれども、シャープ5つをひっくり返してフラット7つにすれば変イ短調になるから、これもつながっている。

さすがに1位だけあって、今日の会場はほぼ満員。しかもマリインスキーのホームページでコンサートの生中継をする力の入れよう。この人、これからどのように受け入れられていくだろう。見ものだ。

2011年2月13日日曜日

ノーノとベートーヴェン

  1. ルイジ・ノーノ:カンタータ「断ち切られた歌」(ロシア初演)
  2. ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 作品92
イラン・ヴォルコフ指揮、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団ほか
2月13日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

昨年の3月、ヘルシンキで聞いたイラン・ヴォルコフ。ものすごくきれいな棒を振る人で、その指揮姿が目に焼き付いている。今回、その印象が間違っていなかったことを確認した。指揮のお手本のような振り方で、棒の先が綺麗な線を描く。しかも決して大げさな身振りをしない。このテクニックは武器になる。

ただ今日のプログラムは、一体何を意図しているのか?ヘルシンキでヴォルコフと会食した際、「ペテルブルグから来ました」という話をしたら、「来年の2月、ペテルブルグでノーノを振るんだよ。なんでロシアでノーノなんだ(苦笑)」とこぼしていた。ということはヴォルコフが選んだプログラムではないのか。しかも一緒にやるのがベートーヴェンって…。

予想通り、オケがノーノの書法に戸惑っているのは明らか。新ウィーン楽派ですら崩壊しかかるのに、ノーノなんてほとんど未知の音楽だろう。でもそう考えると、ヴォルコフがひとまず音楽の形を整えるのに成功したことは、実はすごいことなのかもしれない。フィンランドのオケとか日本のオケなら、もっと完成度の高い演奏になっただろうけど、どんな曲かは十分知ることはできた。

のちのノーノの音響空間を先取りするような響きも聞かれるし、ウェーベルンの延長のようにも聞こえる。トランペット5本、ティンパニ2対、独唱者3人に混声合唱という大編成にもかかわらず、音楽は基本的に静粛の世界。聞いて決して心地よいものではなく、不安になってくる。でもその不安を共有することこそ、重要なのだろう。音楽を通じて突きつけられる「現実」。積極的に聞きたくなる音楽ではない。でも聞いて損したとは全然思わなかった。こういう「芸術」のあり方も必要だと思う。

演奏後、周りのお客さんたちが、「理解できない」「音楽とは思えない」と言っていた。正直な感想だと思う。間違っていない。それにしても、共産主義に理想を見出したノーノの代表作の1つが、作曲後半世紀以上経ってやっとロシア(本当は共産主義の総本山になるはずだった国)でも初演され、でもなかなか受け入れてもらえないという皮肉。

休憩後にベートーヴェンが演奏されたが、やはりノーノのあとに聞くとホッとする(笑)。でも演奏自体は、もうちょっと弦楽器が鳴ってほしいと思った。古楽奏法ではないのだから、ある程度の「重厚さ」が欲しい。マリインスキーのオケにしてもそうだが、ファースト・ヴァイオリンだけで6プルト、あるいは7プルトあるのに、なんでこんな薄い音しか鳴らないの、と思うときがある。録音だとごまかしがきくが、生で聞くと顕著。

終演後、楽屋にヴォルコフを訪ねてみると、去年ヘルシンキで会ったことを覚えてくれていた。素直に嬉しかった。

2011年2月6日日曜日

ショパン・コンクール入賞者のコンサート(1)~ダニール・トリフォノフ

  1. ヨーゼフ・ハイドン:ピアノ・ソナタ第56番ニ長調、Hob. XVI:42
  2. アレクサンドル・スクリャービン:ピアノ・ソナタ第3番嬰ヘ短調、作品23
  3. ヨハン・セバスチャン・バッハ(セルゲイ・ラフマニノフ編):無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータホ長調よりプレリュード、ガヴォット、ジーグ
  4. セルゲイ・プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第3番イ短調、作品28
  5. フレデリック・ショパン:マズルカ風ロンドヘ長調、作品5
  6. 同上:3つのマズルカ、作品56
  7. 同上:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調、作品58
ダニール・トリフォノフ(ピアノ)
2月6日 マリインスキー・コンサートホール 19:00~

昨年のショパン・コンクールの入賞者のうち、5位のフランソワ・デュモンを除く5人がマリインスキーのコンサートホールでリサイタルを行う。さすがに全員聞きにいっている余裕はないけど(そもそもショパンって、そんなに好きな作曲家でもないし)、何しろ全席250ルーブルという破格の安さなので、これを逃す手もない。とりあえず3人選んだ。

今日は初日。第3位のダニール・トリフォノフ。1991年、ニジニ・ノヴゴロド生まれ。顔にはまだあどけなさが残る。他のピアニストがショパンづくしのプログラムを組み中、一人いろいろな作曲家を取り上げた(だから聞きにいったのだが)。

最初はハイドン。実はハイドンのピアノ・ソナタって、CDも含めて聞くのが初めて…。お、いいかも。意外と華麗だ。と言っても、初めて聞くので演奏の魅力と曲の魅力の区別がつかない。ひょっとしたらハイドンにしてはモダンすぎるのではないかという思いも抱いたが、まあ大した不満ではない。

その後、スクリャービン、ラフマニノフ編曲のバッハ、プロコフィエフ、休息をはさんでショパンと聞いて、この人、かなりの技巧派だということが分かった。素人の耳には、ほとんどミスタッチが聞き取れない。対位法の描き方も上手くて、曲が立体的に感じられる。圧巻だったのはプロコフィエフ。若き日の作曲者の遊び心がこちらまで伝わってくる。プロコフィエフらしいモダンな和音、リズムと抒情的な美しさの対比が見事に描かれていた。

スクリャービンとショパンのソナタに関しては、もう少し暗いドロドロしたものも欲しいが、でもまだ20歳なのだから、そういう「難しいこと」を言ってもしょうがないという気がする。むしろプロコフィエフみたいな曲をじゃんじゃん弾いて 思いっきりピアノで遊んで欲しい。ハイドンを最初に持ってきたのは、自分は技巧だけのピアニストではないということを、誇示したかったからかもしれないが。

アンコールでリストのラ・カンパネラを弾いていたけど、これも全く危なげなし。う~ん、有名な国際コンクールの上位入賞者になると、これぐらいは楽に弾けてしまうのだなあ。よく考えてみれば、国際コンクールの入賞者の演奏を、コンクールが終わって間もない段階で聞くのは、これが初めてだったかも。

2011年1月29日土曜日

タタールニコフのマーラー

  • グスタフ・マーラー:交響曲第7番ホ短調「夜の歌」
ミハイル・タタールニコフ指揮、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団
1月29日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

最近、あまり「これは!」という演奏会がなくて、おかげで本業に専念できたのだけど、久々に見つけた行きたいコンサート。実は同じ日に、カペラのほうでジャズ・ホルン奏者シルクローパーの演奏会もあって(なぜかぶる)、そちらも行きたかったのだけど、迷った末、タタールニコフに賭けることに。それぐらい、タタールニコフには期待している。マーラーの7番という難曲を振るだけに、余計期待した。

本当はこの演奏会、ニコライ・アレクセーエフが振るはずだったのだが、病気のため交代。でも1週間前には交代のアナウンスが出ていたような気がする。予習することを考えてだろうか。

アレクセーエフが振ったらどうなっていたか分からないけど、タタールニコフのマーラー、予想通りなかなか良かった。ところどころ事故が起こっていたし、今の時代、魅力的なマーラーがあふれているので、100点とはいかないが、80点はあげてもいい。全体としてはさっそうとしたテンポですっきりまとめたマーラーだった。フィルハーモニーのオケ、時々マーラーに慣れていないんじゃないかと思われるときもあるが、今日は違った。ちょっとファースト・トランペットが張り切りすぎていたような気がするけど、バリバリ鳴る金管や打楽器も、鋭い音色の木管も、マーラーにフィットしていた。指揮者がちゃんとスコアを読んできたからだと思う。

ほぼ1年前に聞いたゲルギエフの同曲の演奏も、それなりに満足したが、個人的にはタタールニコフのほうを推したいなあ。確かにゲルギエフのほうがベテランらしい器用さを感じるが、タタールニコフ&ペテルブルグ・フィルのほうが、よりストレートで新鮮だ。

2011年1月14日金曜日

テミルカーノフのブラームス

  1. ヨハネス・ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83
  2. 同上:交響曲第4番ホ短調 作品98
ユーリ・テミルカーノフ指揮、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団、ネルソン・フレイレ(ピアノ)
1月11日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

フレイレは昨年の4月にもゲルギエフと同じ曲をやっているので、聞きくらべになる。結果的には、4月のほうが印象がよかった。だがそれは、ホールの違いによるところが大きいかもしれないと思う(こないだも同じことを書いたような気がする…)。4月はホールの真中で、ピアノの音がよく聞こえる位置だったが、今回は端のほうで、オケやピアノの音がダイレクトに飛んでこないもどかしさを感じた。気のせいかもしれないけど。ただし3楽章のチェロソロは、今回も見事だった。

後半のブラ4は、やはり昨年4月に、同じオケで聞いている。指揮はティトフだった。その時は、なかなかロシアでは聞けないブラームスの交響曲をやっと聞けたという安心感を味わっていたら、時々ブラームスらしからぬ金管やティンパニが炸裂して夢から覚めてしまうということを繰り返していた。

今回は、より一層ブラームスらしさが後退。古楽奏法でもないのに、フレーズを短めにして歌わない。そこへティンパニがドッカンドッカン鳴り響く。何だこれは!? 思わず、宇野功芳が広めた有名なフレーズをもじって「テミルカーノフのブラームスなど聞きにいくほうが悪い」という文句が浮かんでくる。ロシアでまともなブラームスの交響曲の演奏を聞くことを望むのは、無理なのだろうか。

もう一回オネーギン

  • ピョートル・チャイコフスキー:歌劇「エフゲーニ・オネーギン」
ボリス・グルジン指揮、マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団、アレクセイ・マルコフ(バリトン)ほか
1月10日 マリインスキー劇場 19:00~

「オネーギン」は1年半前に聞いているけど、その時は疲れていて、前半寝てしまった。というわけで再度見にいったが、う~ん、何というか。

チャイコフスキーのメロディーは素晴らしいし、物語としても、何といってもプーシキンの(つまりロシア文学の)最高峰だから、オペラとしては最高だと思うのだが、今回は演奏がダメ。まずオケのピッチがまるで揃っていない。マリインスキー劇場管弦楽団といっても、実態は様々だ。

歌手も、レンスキー役のセルゲイ・スコロホドフが風邪をひいていたらしく、第2幕の決闘前のアリアを、咳をしながら歌う始末。誰か代役はいなかったのだろうか?おかげで、何やら同情を誘うアリアになったが(この直後に死ぬし)。他の歌手はまあまあだったかな。

いつか「まともな」演奏で「オネーギン」を聞いてみたい。

2011年1月5日水曜日

コパチンスカヤ+モスクワ・アート・トリオ+ボレイコ+ベルンSO

  1. ゲオールギ・スヴィリドフ:「吹雪」よりトロイカ
  2. エフレム・ジンバリスト:オペラ「金鶏」に基づく幻想曲
  3. ピョートル・チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形」より花のワルツ
  4. 同上:ワルツ=スケルツォ
  5. ミハイル・アルぺリン:忘れられた客人のアリア
  6. 同上:序奏とウィーン変奏曲
  7. ニコライ・リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」
アンドレイ・ボレイコ指揮、ベルン交響楽団、パトリチア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン)、モスクワ・アート・トリオ(ミハイル・アルぺリン、セルゲイ・スタロスチン、アルカージ・シルクローパー)
1月2日 カルチャー・カジノ(ベルン) 17:00~

正月休みを利用して聞きたかったのは、このコンサート。ロシアを去る前にもう一度コパチンスカヤに会いに行こうとは決めていたが、何と彼女に加えてモスクワ・アート・トリオまで出演する。これぞ夢の共演!!誰だ、こんな嬉しい企画を考えてくれたのは!?

前半は、コパチンスカヤとモスクワ・アート・トリオが主役。金鶏幻想曲はワックスマンやサラ=サーテのカルメン幻想曲をそのまま金鶏に置き換えたような曲で、超絶技巧で遊んでみせる曲。チャイコフスキーのワルツ=スケルツォでもそうだったが、コパチンスカヤはゲネラルパウゼでわざと音楽を止め、表情で遊んでみせる。この人、シリアスなパフォーマンスだけでなく、大道芸的な芝居もできる人だ。

前半最後の2曲は、モスクワ・アート・トリオのリーダー、アルペリンが書いた曲。単純なオーケストレーションと活躍するソリストの対比は、ショパンの協奏曲を聞いているようでもあり、執拗なワンパターンのリズムから民族色がにじみ出てくるあたりは、伊福部昭を思わせる。

しかし圧巻だったのはアンコール。シルクローパーの吹くアルペンホルンに合わせてコパチンスカヤが舞台裏から登場し(ベルン交響楽団の首席ベース奏者が後ろからついてきた)、みんなで丁々発止のやり取り。出た、夢の共演!!そう、コパチンスカヤは即興演奏もできるんだ。最初はモスクワ・アート・トリオに戸惑っていたようだった客席も、最後は湧いていた。

さて、前半を聞いた段階では、ボレイコとベルン交響楽団は伴奏という感じで、あまり冴えなかった。ところが休息後の「シェヘラザード」になると、「今度はおれたちが主役だ」とばかりに、さっきとは打って変わって目の覚めるのような音楽を奏でる。コンマス・ソロはそれほど上手くなかったが(というか、コパチンスカヤの後に弾くなんて…)、オーケストラとしての一体感は素晴らしい。第4楽章の難破の場面におけるカタルシスなど、オーケストラを聞く醍醐味だと思う。前半だけだと、ボレイコもベルン交響楽団も見くびるところだったが、後半で見なおした。それにしてもネルソンスといいボレイコといい、次々と「期待の新人」が出てくるから、この業界も大変だなと思う。

<余談>
日本人かどうかは分からないけど、チューリヒ・トーンハレといいベルン交響楽団といい、東アジア系の顔が多い。そういう時代なんだ。

2011年1月4日火曜日

チューリヒのジスベスターコンサート

  1. リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
  2. 同上:Morgen!
  3. 同上:Zueignung
  4. 同上:歌劇「ばらの騎士」よりワルツ
  5. 同上:Ruhe, meine Seele
  6. 同上:Cacilie
  7. ヨハン・シュトラウス(息子):喜歌劇「こうもり」序曲
  8. 同上:ワルツ「美しく青きドナウ」
  9. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ「鍛冶屋のポルカ」
  10. ヨハン・シュトラウス(息子)ポルカ「雷鳴と電光」
  11. 同上:加速度円舞曲
  12. 同上:ポルカ「クラップフェンの森で」
  13. 同上:「こうもり」よりチャールダーシュ
  14. 同上:皇帝円舞曲
アンドリス・ネルソンス指揮、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団、Kristine Opolais(ソプラノ)
12月31日 トーンハレ(チューリヒ) 19:00~

正月休みを利用して、スイスへ。ロシア国外に出るのは、もうこれが最後だろうけど。

指揮はバーミンガム市響の音楽監督に就任して注目を集めるネルソンス。1978年生まれというから、私とほとんど変わらない。

ジルベスターコンサートらしく、シュトラウスつながりで組まれたプログラムだけど、圧倒的によかったのは前半。特に「ティル」は、この指揮者の統率力が見事に発揮されていた。

ネルソンスはニコニコと笑顔を振りまきながら、指揮台の上で踊りまくるが、右手の指揮棒は常に明白に拍を出している。これで出てくる音がしょぼかったら白けるけど、彼の表情そのままのような音をオケも出す。リヒャルト・シュトラウスだから、これといって何か変わったことをしているわけではないが、オーケストラが気持ちいいぐらい鳴っていた。特に弦の音の厚みは、絶対にマリインスキーより上。

それに対して、ヨハン&ヨーゼフ・シュトラウスは、ウィンナ・ワルツの難しさを感じさせた。どうしてもウィーン・フィルの呪縛がちらつく(「こうもり」と「雷鳴と電光」では、クライバーの呪縛も)。「ばらの騎士」でも、これがウィーン・フィルだったという思いが頭をよぎったが、すぐに、そんなことをここで言ってもしょうがないよなあと思いなおした。だがヨハン・シュトラウスの一族となると、ウィーン・フィルの影を払しょくするのが大変だ。

そうはいっても、楽しい演奏だったことには違いない。ネルソンス、確かにいいかも。

<余談>
ネルソンスが使っていた「ティル」のスコアは確かにDoverだった。Doverってやっぱりバカにしてはいけないのかも。