2010年3月28日日曜日

日本人若手ソリストの演奏会

  1. アントニオ・ヴィヴァルディ:ピッコロ協奏曲ト長調
  2. フレデリック・ショパン:ピアノ協奏曲第2番ヘ短調
  3. ジャコモ・プッチーニ:「トスカ」、「蝶々夫人」よりアリア
  4. パウル・ヒンデミット:白鳥を焼く男
  5. モーリス・ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
  6. ジュゼッペ・ヴェルディ:「運命の力」よりアリア
  7. シャルル・グノー:「ファウスト」よりアリア
  8. ピョートル・チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番ロ短調
ヤスナガ・ヒロミ(ピッコロ)、オータ・キス・ミチコ(ピアノ)、オタベ・ナナエ(ソプラノ)、アライ・トモコ(ヴィオラ)、新井彩香(ピアノ)、山西真理(ピアノ)、アレクサンドル・ティトフ指揮、サンクト・ペテルブルグ国立アカデミー交響楽団
3月28日
 ベロセリスキー=ベロゼルスキー公邸 16:00~

今日から夏時間。9時頃まで外は明るい。日中の気温が氷点下になることもなくなったし、とにもかくにも春が来たと実感する。

そんな日に、なぜか日本人の若手(それも女性)ばかりが6人も、ペテルブルグのオケをバックに出演するコンサートが開かれた(上の名前は、ネットで調べて漢字が分かった人は、それを書いている)。誰が企画したのか、プログラムを見ても書いていない。最初の休憩時間には、(おそらくプロの)何人かの日本人が三味線を弾きながら長唄を披露していた。クラシックのコンサートの合間に西洋風の建築の中で、長唄を聴くというのはちょっと変な気分。こんなセッティングまでするということは、日本の総領事館がかかわっていたのかな。

協奏曲は一つの楽章だけを抜きだしてやるのかと思ったら、全楽章やっていた。おかげで2回も休憩をはさんで、3時間以上も続くコンサートに。こないだのクニャーゼフといい、ゲルギエフといい、ロシア人は長いコンサートが好きだなあと思う。

そんなに客は来ないだろうと思っていたら、予想に反して450ある席はほぼ満席。ただ、指揮者とソリストが入ってきても客はまだ入場しているし、いつまでも私語はやめないし、はたして演奏者にとっていい客だったのかどうか。それにこの会場、音がロクに響かない。ケチって後ろのほうの席を買ったので、余計そうだったかもしれない。

そして伴奏するオケが、明らかに練習してきていない。もともとそれほど上手くないオケが練習してきていなくて、なおかつ会場の音響も悪い、客席はなかなか静かにならないと、こんな場所での演奏を、フィルハーモニーやマリインスキーでの演奏と比較するのは酷というもの。ソリストの人たちも大変だなあと、半ば同情しながら聞いていた。

それでも聞いた印象を記しておくと、もしマリインスキーのコンサートホールで聞いたら、結構良く聞こえるのではないかと思える人もいれば、条件の悪さを考慮しても明らかに指が回っていない人もいるし、中には譜面を度忘れする人もいるしで、いろいろだった。しかも家に帰って調べてみると、こちらの印象の悪さと実際の活躍の度合いが反比例していて、戸惑うばかり。あんまり悪口は書きたくないので、ここらへんで…。

2010年3月26日金曜日

ブーレーズの誕生日

  1. ピエール・ブーレーズ:ピアノ・ソナタ第1番
  2. 同上:ル・マルトー・サン・メートル
ニコライ・マジャラ(ピアノ)、アンサンブル・プロ・アルテ
3月26日 フィルハーモニー小ホール 19:00~


今日、2010年3月26日はピエール・ブーレーズの85歳の誕生日だそうである。おめでとうございます、というところだが、だからと言って、まさかペテルブルグでブーレーズの作品が演奏されるとは思わなかった。企画したのは、プロ・アルテというペテルブルグの文化団体。

ポスターには、眼光鋭い若き日のブーレーズの写真。こういうのを見ると、最近の彼は良くも悪しくもすっかり好々爺になったなあと思う。作曲家ブーレーズに興味があるロシア人なんてほとんどいるまいと高を括り、開始直前にチケット売り場に行ってみると長蛇の列。なんで???何とかチケットを買って会場に入ってみると、席はほとんど埋まっている。この会場がこれだけ埋まっているのを見たのは、マイスキーの時以来だ。

最初はブーレーズのピアノ・ソナタ第1番。ニコライ・マジャラという名前も聞いたことのない若手ピアニストで特に期待していなかったが、これが凄かった。複雑極まりない楽譜をちゃんと把握し、メシアンの衣鉢を継ぐ若手作曲家の魅力的な作品として聞かせていた。家に帰って調べて見ると、彼は2004年のプロコフィエフ国際コンクールの覇者とかで、マリインスキーなどにも出演したことがあるらしい。今度どこかのコンサートに出るときは、聞きのがさないようにしよう。

続いては、マラルメの詩をロシア語とフランス語で朗読。これはついていけなかった。

後半は、ブーレーズのみならず、20世紀を代表する傑作との呼び声も高い「ル・マルトー・サン・メートル」。でも正直に告白すると、私はこの作品の魅力がよく分からない。もしこれで、ブーレーズの他の作品にも魅力を感じないのだったら、単に「作曲家ブーレーズ」は分からないで済むのだが、問題はそうもいかないところ。それほど積極的に聞くことはないものの、ブーレーズの他の作品、「プリ・スロン・プリ」「ノタシオン」(管弦楽版)「メッサジェスキス」「レポン」などは、嫌いではない。でもよりによって、代表作の「マルトー」が何度聞いても馴染めないのだ。

ただ生で聞いてみると、そこそこ楽しめた。これが「傑作」なのかどうかは分からないけど、20世紀音楽の「美」がここにあることは分かった。演奏も、予想以上に楽譜を咀嚼している。それにしてもブーレーズの作品が、ロシアの演奏家集団によって取りあげられ、そのコンサートに客が来るような時代になったのだ。

コパチンスカヤ in Helsinki

  1. ヨルグ・ウィドマン:コン・ブリオ(フィンランド初演)
  2. アーノルド・シェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲
  3. クロード・ドビュッシー(コリン・マシューズ編):5つの前奏曲
  4. モーリス・ラヴェル:ボレロ
イラン・ヴォルコフ指揮、フィンランド放送交響楽団、パトリチア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン)
3月24日 フィンランディアホール 19:00~


コパチンスカヤを聞きにヘルシンキへ。ペテルブルグからだと1時間のフライトで着いてしまう。パスポート・コントロールがあるとはいえ、時間的には国内線の感覚。

1曲目はヨルグ・ウィドマンという、1973年生まれのドイツの作曲家(兼クラリネット奏者)の作品。「コン・ブリオ」というのはベートーヴェンの作品によくある表記だけれども、ミュンヘン・フィルからの委嘱で、ベートーヴェンの交響曲第7番、8番と並べて演奏するために書かれたそうだ。初演は2008年9月、マリス・ヤンソンスの指揮で。

冒頭から、なんか聞き覚えのある響が頻出する。ベリオのシンフォニアに似た感覚で、混沌とした中にベートーヴェンからの引用がちりばめられている、全部で15分ほどの作品。でも実を言うと、それほど好きなタイプの曲ではない(ベリオのシンフォニアは好きだが)。ただし演奏は見事で、ヴォルコフは明晰なタクトで曲をさばいていた。まるで斎藤秀雄の門下生のよう。

次のシェーンベルクでもヴォルコフは見事に指示を出していく。この人は、複雑な曲ほど持ち味を発揮する人のようだ。お目当てのコパチンスカヤともども、シェーンベルクが「音楽」になっている。最近よく指摘されるように、シェーンベルクの頭の中って実は結構保守的な部分があるのだというのが、よくわかった。

そうは言っても難曲であることには変わりはなく(コパチンスカヤがいうにはmiraculous difficult)、特になんですか、あのヴァイオリンのソロパートは!!聞いていて何度かのけぞってしまい、演奏が終わった時には思わずフ~と息を吐いた。別にソロが危うかったとか、そういうことではなく、逆に余裕を持って楽譜を「音楽」にしていく様に圧倒されっぱなしだったのだ。

休憩時間にコパチンスカヤの楽屋にお邪魔したら、彼女はピンピンしていて、何人かの人と談笑していた。元気だ、この人。彼女の父親も見えている。彼女からコンサート後のディナーに誘われたので、「はい」と即答。

後半はまず、ドビュッシーの有名な2つの前奏曲集から、「ヴィーノの門」「月の光が降りそそぐテラス」「野を渡る風」「沈める寺」「花火」をオーケストラ用に編曲したもの。だがドビュッシーらしい響になるには、もう一歩というのが正直な感想。おそらく編曲よりは、演奏する側がまだ消化しきれていないのではないかという印象を持った。楽器と楽器の音色がぶつかった際の「化学反応」から生まれる独特の「香り」が、まだ足りない。「海」や「牧神」のように慣れている曲なら、結果は違っただろうが、とにかくドビュッシーは難しい。

最後は「ボレロ」だが、ドビュッシーの延長で、熱狂よりは色彩感を大切にした演奏。ソロも多少のミスはあったが、全体的に危なげない。14分か15分ほどの中庸のテンポだったが、明らかに熱を帯びてきたのは10分過ぎほどからではなかっただろうか。よく考えてみれば、「ボレロ」を生で聴くのはこれが初めてだったかも。

終演は9時10分ごろ。その後ディナーに同席させてもらったが、11時過ぎまでコパチンスカヤとヴォルコフは元気よく談笑していた。コパチンスカヤは翌朝9時の飛行機、ヴォルコフに至っては7時半の飛行機で発つだとか。音楽的才能は無理でも、せめてこのヴァイタリティだけでも見習いたいものだが…。

2010年3月21日日曜日

バッハの誕生日に

  • ヨハン・セバスチャン・バッハ:無伴奏チェロ組曲全6曲
アレクサンドル・クニャーゼフ(チェロ)
3月21日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

3月21日はJ.S.バッハの誕生日ということで、フィルハーモニーではクニャーゼフによる無伴奏チェロ組曲の演奏会。でもまさか、一晩で6曲全部やるとは思わなかった。

確かにポスターには「6つの組曲」と書いていたのだが、当日、3曲ぐらい選んでやるのだろうと高を括っていたら、さにあらず。会場でプログラムを見てびっくり。休憩を2回はさんで、番号順に全部やることになっている。クニャーゼフは全部弾ききる自信があるのだろうが、むしろこちらの体力が持つのか不安になった。まるでマラソン。

でも結局、最後まで彼の演奏につきあうことになった。最初の3曲が終わった時点では、聞いているこちらが疲れてしまって「やっぱり一晩で全6曲は聞くのがきつい」と思っていたのだが、意外にもその後の後半のほうに引きこまれた。

クニャーゼフという人は、軽くパーマのかかった長髪でいかつい顔をしており、チェロよりもエレキギターのほうが似合いそうな雰囲気だが、外見に似合わず出す音は軽く柔らかい。そして高音が美しい。この長所が活きていたのが5番と6番。5番は短調だが、クニャーゼフの音色と面白い具合にマッチして、いたずらに深刻ぶることなく、美しい演奏に仕上がっていた。6番も、終曲のジークはさすがに疲れがたまったのか技術的に苦しそうだったが、それ以外は高音の美しさが活きていた。特に長いアルマンドがよく歌って見事。

バッハの誕生日にふさわしい演奏会だったかもしれない。そうは言っても、終わったのは10時半。最後はやっぱり疲れたし腹もへった。

2010年3月20日土曜日

ピーター・ドノホー in St. Petersburg

  1. ウォルフガング・アマデウス・モーツァル:ピアノ・ソナタイ長調「トルコ行進曲付き」
  2. ヨハネス・ブラームス:6つの小品
  3. モーリス・ラヴェル:水の戯れ
  4. 同上:「鏡」より「鐘の谷」
  5. フランツ・リスト:「巡礼の年」より第1年第9曲「ジュネーヴの鐘」、第3年第4曲「エステ荘の噴水」
  6. セザール・フランク:前奏曲、アリアとフーガ
  7. オリヴィエ・メシアン:カンテヨジャーヤー
ピーター・ドノホー(ピアノ)
3月20日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

感想を一言でまとめると、月並みだが「世の中には上手いピアニストがたくさんいるなあ」ということである。今の時代、これぐらいのプログラムをひょいひょいとこなせないと、ピアニストとして第一線で活躍出来ないのかもしれない。

最初のモーツァルトは、古楽などまるで意識していないかのような、モダンなサウンド。ある意味メカニック。ショパンやラヴェルやメシアンのピアノを通過した後のモーツァルトである。「味わい深い」というわけではないが、でもこれもありかな、と思わせる。続いてはブラームスだが、私はブラームスの交響曲は大好きなものの、ピアノ独奏曲にはまだついていけないでいる。聞いているうちに迷子になってしまうのだ。今回もそう。おまけにロシアではよくあることだが、観客が楽章ごとに大きな拍手をする。ドノホーもやりにくそうだった。

休憩をはさんで、第2部はラヴェルとリストを一気に間髪入れず演奏した。最初、ロシアの観客の拍手に業を煮やしたかと思ったが、どうもそういうことではなく、最初からひとまとまりで聞かせるつもりだったらしい。プログラムをよく見ると「水→鐘→鐘→水」というシンメトリーな構成になっている。テクニック的にも、特にリストが唖然とするほど上手く(よくあれだけいろんなパッセージを明確に弾きわけられるなと思う)、このコンサートの白眉だったように思う。

次のフランクもお見事。もっとも私はまだフランクの魅力に目覚めていなくて、お決まりの交響曲ニ短調とヴァイオリン・ソナタぐらいしか知らないのだけど。当然「前奏曲、アリアと終曲」は初めて聞いた曲だが、交響曲にそっくりのメロディーが出てきて驚いた。帰って調べて見ると、ほぼ同じ時期に作曲されているらしい。

最後はメシアンだったが、本当はこれが一番聞きたかった。どうせなら、メシアンのみのプログラムとか聞いてみたいのだけど、そんなことをロシアでしたら客が来ないだろうな…。さすがにこの曲のみ、楽譜を見ての演奏。確かに指は回っているし迫力もあるのだが、メシアンにしては少し音が堅いかも。メシアンのピアノ曲に関しては、以前札幌で、ロジェ・ミュラロによる「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」全曲演奏に接したのが忘れられない。ドノホーも悪くはないが、さすがにあの域には達していなかった。

2010年3月16日火曜日

アヴァンギャルドから現在へ

  1. マティアス・セイバー:ソプラノとクラリネットのための「3つの明けの明星の歌」
  2. アルバン・ベルク:クラリネットとピアノのための4つの小品
  3. ボリス・ゴルツ:ピアノのための2つのプレリュード
  4. ギデオン・クライン:ピアノ・ソナタ
  5. レオシュ・ヤナーチェク:ピアノ・ソナタ
  6. エレーナ・ポプリャノヴァ:無伴奏ギター・ソナタ
  7. ローラ・カミンスキ:「ヴコヴァル」ピアノ三重奏曲
  8. ベーラ・バルトーク:2台のピアノと打楽器のためのソナタ
Julia Simonova (soprano), Daniela Hlinkova, Oleg Malov, Sergey Uryvaev, Julia Stashkova, Dinara Mazitova (piano), Adil Feodorov (clarinet), Semon Klimashevsky (violin), Andrey Smirnov (cello), Anton Nazarko, Alexander Shalimov (percussion)
3月16日 フィルハーモニー小ホール 19:00~

現在フィルハーモニーを中心に行われている、「アヴァンギャルドから現在へ:戦争と平和」という連続コンサートの一環。実は先日のロスラヴェッツは、この企画の幕開けだった。

今回も凝ったプログラム。たとえば4番目のクラインはアウシュヴィッツで殺された作曲家であり、ヤナーチェクの弟子である。6番目、7番目は現役の作曲家の作品であり、作曲家自身が会場に見えていた。ただしこうした渋いプログラムに来る客がそんなにいないのは、もう分かりきったこと。演奏家は、若手が中心。

一曲一曲についてコメントしていてはキリがないので、特に印象に残った最後の2曲について。カミンスキのピアノ三重奏曲は、冒頭のピアノの激しいトーン・クラスターに一瞬たじろいだが、でもよく聞くと意外と親しみやすいリズムとメロディーを持っている。リズムに関しては、幾分ロックっぽいような気も。ただ端の鍵盤を使い、激しく叩きつけるピアノに対して、弦楽器の2人が大人しい。作曲者の指示かもしれないが、むしろ奏者の技量の問題ではないかという気もした(特にヴァイオリン)。もう少しメリハリの利いた演奏で聞けば、さらに名曲に聞こえたのではないだろうか。

最後はお目当てのバルトーク。弦楽四重奏曲と並び、バルトークの室内楽の傑作と評されている作品だが、あまり実演でお目にかかる機会はないような気がする。編成が特殊だからか。でもその分、生で見ると面白い。2人の打楽器奏者がいろいろな楽器を駆使し、2人のピアノ奏者とやりあさまは、見る価値がある。もちろん、音楽自体もあらためて見事なものだと思った。あまたあるこの曲の録音と比べてどうこう言うのは易しいけれど、でも十分満足できた。

2010年3月10日水曜日

ロスラヴェッツを聞きにいく

  1. ドミートリ・ショスタコーヴィチ:1945年の交響的断章
  2. ニコライ・ロスラヴェッツ:「十月」独唱、混声合唱とオーケストラのためのカンタータ
  3. 戦時下の歌
アレクサンドル・ティトフ指揮、国立サンクト・ペテルブルグ・アカデミー交響楽団、スモーリヌイ寺院室内合唱団ほか
3月10日 フィルハーモニー大ホール 19:00~



ティトフという指揮者はマニアックな曲が好きらしく、今回のプログラムも珍品が2つ。ショスタコーヴィチの未完の交響曲に、ロスラヴェッツのカンタータとは。対照的に、後半は戦時中の歌謡曲をオーケストラ伴奏用に編曲したものを並べてきた。

まずショスタコーヴィチだが、スコアを見ると4管編成なのに舞台上は3管編成。2本必要なはずのチューバも1本だけ。どうもこのオーケストラ、メンバーがもともと少ないらしく、ヴィオラが5人でチェロが6人になっている。その少なさをカバーするだけの技量が個々の奏者にあればいいのだが、そういうわけでもなく、人数が少ない割に響が混濁しがち。まあ、こんな珍品を生で聞けただけでも、感謝すべきかも。

続いてお目当てのロスラヴェッツ。ロシアにおける12音技法の創始者みたいな言われ方もするので、猛烈な不協和音の吹き荒れる、アヴァンギャルドなアブナイ革命賛歌を期待していたのだが、これが全くの不発。社会主義リアリズムの作品と言われればそのまま信じてしまいそうなぐらい、分かりやすいサウンド。ショスタコーヴィチの交響曲第2番と一緒に初演されたらしいけど、確かにあの曲の後半の合唱部分と似ている気がする。1927年にこの曲が初演された時、すでにロスラヴェッツには当局から圧力がかかっていたらしいので、そのことも関係しているのかもしれない。

全体は5部からなり、それぞれ「蜂起」「10月25日」「魂よ、大声で叫べ」「急行」「コミンテルンへの挨拶」というタイトルがつけられている。1曲目と3曲目は混声合唱、2曲目はバリトン、4曲目はメゾ・ソプラノがそれぞれ歌い、終曲は全員での合唱となる。何と分かりやすい構成。

後半の歌謡曲集は、独唱者と合唱でちょっとクラシックぽく歌いあげる。私にはさっぱりなじみのない曲ばかりだったが(残念なことに、プログラムに曲名を書いてくれていない)、ロシアではよく知られている曲なのか、客席の反応がとてもいい。私の隣に座っていた60代頃と思われるおばあちゃんなど、一緒に口ずさんでいただけでなく、時々ハンカチで涙をぬぐっていた。そんなに思いいれのある歌なのか…歌そのものよりも、客席の反応のほうが興味深かった。

2010年3月8日月曜日

衝動買い

行きつけのお店で、ベルクの「ヴォツェック」(アバド/ウィーン・フィル)と「ルル」(ベーム/ベルリン・ドイツ・オペラ)の新品未開封のレコード(!)を発見。それぞれ2000ルーブルだったので、思わず買ってしまった。でもどうやって日本まで持ってかえろうか…。アホ、と自分に突っ込みたくなる。

ザルツブルグで「ヴォツェック」のスコアを買って以来、ベルクに憑かれている。

2010年3月7日日曜日

シチェドリンのバレエ「せむしの仔馬」

  • ロディオン・シチェドリン:バレエ「せむしの仔馬」
アレクセイ・レプニコフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団
振付:アレクセイ・ラトマンスキー

ダンサー:デニス・マトヴィエンコ、アリナ・ソモヴァ、グリゴーリ・ポポフほか

3月7日 マリインスキー劇場 11:30~


前から見てみたかったバレエ。ひょっとしたら、戦後ソ連を代表する作品かもしれない。もともとロシアの昔話だけに、観客席には子どもの姿が目立つ。

シチェドリンもいろいろ作風を変えてきた人だけに、はたしてどんな響がするのやらと構えていたが、全くの杞憂だった(いや、不発だったというべきか)。プロコフィエフのバレエ音楽に似た響がする。でも考えてみればこの曲が書かれたのは1955年、つまりプロコフィエフが亡くなって間もない時期の作品なので、プロコフィエフと大して違いがなくても不思議はないわけだ。シュニトケがポスト・ショスタコーヴィチなら、シチェドリンはさしずめポスト・プロコフィエフといったところだろうか。

バレエ・ファンの方には何を当たり前のことをと言われそうだが、話の展開も音楽も、いろんな踊りを見せるために頑張って引っ張った感あり。つまりやや「冗長」なのだが、その分踊りは楽しめる。

舞台は割とシンプル。しばしば幾何学的な図像が背景に現れる。最初に出てくるイワンの父と兄たちの衣装など、マレーヴィチの絵画に出てくる農夫を思いおこさせる。そう、このデザインはたぶんマレーヴィチを意識していたのではないだろうか。これが一番印象に残った。

2010年3月5日金曜日

C. フリードリヒの「帆船にて」を見にいく

1月のオーストリア旅行の際に読んだ吉田秀和『音楽の旅・絵の旅』(中公文庫、1979年)の中でもひときわ印象深かったのが、カスパール・フリードリヒの絵画「帆船にて」をめぐる考察だったが、こないだ本屋で何気なく観光ガイドを見ていたら、この絵が現在エルミタージュにあることに気がついた。早速、見にいく。

一見すると、何の変哲もない絵である。エルミタージュは展示している絵画の数が膨大なので、最初からこの絵に目標を定めておかないと、うっかり通りすぎてしまうかもしれない。ついでに言うと、これはロシアの美術館ではよくある話だが、光の当て方にもう少し工夫が欲しい。夕方に行ったせいもあるかもしれないが、思いっきり日差しがさしこんでいて、他のフリードリヒの絵ともども陰影が浮かびあがってこない。しかし何がともあれ、絵の前にしばらく立ちつくしてしまった。

吉田秀和が指摘するように、船の微妙な傾きがこちらに船酔いの感覚を呼びおこすのも確かだが、もう一つ印象に残ったのは(そして吉田秀和が触れていないのは)、空が実に陰影に富んでいるということである。ある意味、人や船よりもよく描けていないだろうか。私の場合、この立体感に富んだ夕焼け(?)の雲に、なぜか不安を呼びおこされた。それこそ、展示室の光の加減の問題かもしれないが。

フリードリヒの絵は、大自然の中に人がポツンとたたずんでいる構図が多いが、この人の場合、本当に描きたかったのは、自然そのものよりも、ここに描かれていないもの、可視化できないものではないだろうか。つまり形而下のものを通じて、形而上のものを描いた画家…。ただし信仰心を持たない私には、形而上のものとは、すなわち宗教的なものより、むしろ己のちっぽさから来るさまざまな俗っぽい「不安」と結びつく。

帰宅後、フリードリヒの絵に合う音楽って、どんなのだろうと考えてみた。フリードリヒの絵は、しばしばCDのジャケットに使われている。いま思いついたのは、第一にメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」、第二にシューベルトの短調系の作品(いわゆる未完成交響曲とか)が似合うのではないかということ。