2010年12月29日水曜日

ワシーリー・ペトレンコの「名曲プロ」

  1. フェリックス・メンデルスゾーン:序曲「ルイ・ブラス」 作品95
  2. 同上:ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64
  3. ジョルジュ・ビゼー:「アルルの女」第1組曲、第2組曲
ワシーリー・ペトレンコ指揮、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団、パーヴェル・ポポフ(ヴァイオリン)
12月29日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

今年の初めにマーラーの3番を振ってとても感激させてくれたワシーリー・ペトレンコ。あの一回の演奏会で、完全に「私的期待の若手指揮者ナンバーワン」になってしまった。今度は対照的な「名曲プロ」。

最初の「ルイ・ブラス」からして、案の定さっそうと進む。気持ちいい。その次は「メン・コン」。ソリストのポポフって、名前だけだと誰?という感じだが、フィルハーモニーではおなじみの顔である。実はここのオケで、コンマスの横にいつも座っている人。時々、自分がコンマスになる。というわけで、協奏曲というよりオケとの一体感が目立った。というか、演奏内容についてあんまり覚えていない。

正直に告白すると、この曲苦手だなあ(苦笑)。同じメンデルスゾーンでも、「スコットランド」とかは大好きだし、「真夏の夜の夢」「イタリア」などもいいと思うけど、一番の代表作「メン・コン」はダメ。BGM程度にしか聞き流せない(BGMで悪いかと言われると、困るのだけど…)。

後半は「アルルの女」。結構特徴のある演奏だった。気がついた点は以下の通り。
  • 基本的なテンポ設定は早めだが、細かく揺らす部分も多い。
  • フレーズは大胆なぐらい短め。え、そんな歌わせ方をするのという個所も結構あった。聞きなれた名曲が新鮮に響いて面白かったけど、人によっては嫌うかも。
  • 基本的にクールだが、最後のファランドールではオケを煽っていた。
惜しむらくは、ライヴとはいえオケに細かいミスが散見されたこと。それに今日はヴァイオリンの鳴りが悪かった気がするのだが、なぜだろう。

でもワシーリー・ペトレンコが個人的に一押しの若手(特にロシア出身者では)であることは、間違いない。日本にも振りに来てほしいなあ。

2010年12月28日火曜日

合唱指揮者がオケを指揮をすると…

  • カール・オルフ:カルミナ・ブラーナ
アンドレイ・ペトレンコ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団ほか
12月28日 マリインスキー劇場 19:00~

コンサートホールのほうではなく、劇場のほうでカルミナ・ブラーナをやるというので、これはきっとオリジナル通りにバレエが入るに違いないと期待していたが、大ハズレ。舞台の上には合唱団のみ。せっかくなら、バレエも入れて派手にやってほしかった。出来不出来はともかく、いろいろなことに手を出すのが、マリインスキーの(というかゲルギエフの)特徴なのだから。

今日の指揮者は、マリインスキーの合唱団の指導者である。あんまり合唱のことは詳しくないけど、ここの合唱団のレベルは決して低くないと思う。もちろん、日によって出来不出来はあるが。今日も、割と発音もピッチも揃っている。だが、オケが問題。正確に言うと、指揮者がオケを統率できていない。

明らかに拍の出し方が不明確。合唱だとそれでもいい、というよりそのほうがいいのだろうが、オケの場合はアンサンブルが揃わない。あちこちズレまくり、音が落ちまくりで、オケのほうは半ばアマチュア状態だった。ケーゲルやヒコックスのように、合唱指揮とオケの指揮の両方が出来た人もいるけど、両方同時にこなすのって、実際は難しいんだなということがよく分かった。

2010年12月27日月曜日

「美女と野獣の対話」

  1. エクトル・ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
  2. モーリス・ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
  3. 同上:ラ・ヴァルス
ワレリー・ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団、エレーヌ・グリモー(ピアノ)
12月26日 マリンスキー・コンサートホール 20:00~

本当は5月に来るはずだったエレーヌ・グリモーだが、その時は急病でキャンセル。ガックリきたのだが、何と年末に来てくれることに。エライ!!今度こそキャンセルしませんようにと願いつつ、チケットを購入した。

ところがグリモーがラヴェルの協奏曲を弾くということ以外、いつまで経ってもプログラムが発表されない。そして当日の昼になって、やっと上記のプログラムが発表された。オイオイ、いきなりベルリオーズの幻想かよと思いつつ、会場に足を運んで(ゲルギエフの演奏会ではよくあることだが)またビックリ。前半で幻想をやって後半にピアノ協奏曲とラ・ヴァルス。だんだん曲が短くなっていくなんて、聞いたことない。ゲルギエフは何を考えているのだろう?でも聞き終わってみると、確かにこの曲順は正解だったと思う。

まずは幻想。ゲルギエフのベルリオーズというと、1年前に聞いた「ファウストの劫罰」があまり良くなかったので、大して期待していなかったのだが、意外にも名演だった。第1楽章、第2楽章は特に良くもなく悪くもなくという感じだったが、第3楽章の中間部からエンジンがかかりはじめて、第4楽章、第5楽章は迫力ある演奏を聞かせてくれた。今までのこのコンビだと、音は鳴っていてもそれだけで、どこか白けてしまうのだが、今日の演奏に関してはゲルギエフの頭の中に明確な曲のイメージがあり、それがオーケストラを通じてこちらに伝わってきた。こないだのチョン・ミョンフンよりも良かった気がする。私の中で、ゲルギエフの株が少し上昇。

しかし今日の主役は、やっぱりグリモーだった。半分ミーハーなノリで、あの美貌を生で拝みたくて行ったのだが、見た目だけでなく(もちろん生で見ても大変な美人でしたが)、演奏そのものに完全にノックアウトされてしまった。

彼女の生演奏の感想を一言で述べると「怖い」。CDを聞いているときは気がつかなかったけど、彼女は演奏中、かなりハァハァ息を切らしながら演奏する。その没入度たるや、凄まじいの一言(そうやって曲に没入している様が、また絵になるのだが)。この人、演奏が終わったら倒れこんでしまうのだはないかと思ったほど。

そしてピアノがよく鳴る。出だしから一気に引きつけられた。単に音がでかいのではなく、ものすごい集中力で自分の世界を構築し、聴衆をそこに引きづり込んでしまう。その点では、6月に聞いたユンディ・リと同じである。しかも時々演奏中に、何かが閃いたのではないかと思える瞬間があった。ジャズのようなノリで、音がきらめく。彼女はこの曲を数えきれないくらい弾いているはずなのに、まったくマンネリ化していない。

白眉は第2楽章前半のソロ。ラヴェル屈指の美しいメロディーで個人的に大好きだけど、グリモーの演奏で聞くととても悲しく、不安になった。そうだ、この曲は見た目の華麗さとは裏腹に、とても寂しい音楽なのだと思う。グリモーの読みは眼光紙背に徹しすぎるぐらい徹して、ラヴェルが華やかさの背後に隠した孤独感を暴きだしたのだ。

おかげで、ゲルギエフとオケがどんな音を出していたのか、よく覚えていない。ソリストがこんなにオケを圧倒してしまうのも珍しい。何と怖いピアニストだろう!!それにグリモーは、本番中のインスピレーションを大切にして、リハーサルでの約束はあまり守らなさそうな気がする。聞いていてそんな印象を受けた。指揮者としては、やりづらい相手ではないだろうか。でもその分、聞いているほうはスリリングだ。

熱烈な聴衆の拍手にこたえて、2曲もアンコールを弾いてくれた。何の曲か分からないけど(ショパン?)、それもとても良かった。彼女が舞台裏に引っ込んだときは、こっちまでヘトヘト。もうお腹いっぱい。今日、ゲルギエフが幻想を前半に回したのは、グリモーの存在感を恐れたからではないかと邪推してしまった。

しかしまだラ・ヴァルスが残っていた。さすがにグリモーのあとだと分が悪いのだが、決して悪くはなかった。オケの鳴りっぷりが気持ちいい。4月に聞いた時も良かったし、やっぱりラ・ヴァルスはゲルギエフに合っていると思う。でもこの意見に賛同する人、日本にどの程度いるだろう。

何がともあれゲルギエフのコンサートとしては、今年の初めに聞いたシチェドリンの「魅せられた旅人」と並んで、満足度が高かった。

2010年12月24日金曜日

クレーメルの問い

  1. 楽器の技法~ヨハン・セバスチャン・バッハとグレン・グールドへのオマージュ
  2. 新譜「深き淵より」よりシャルクシュニーテ、ペルト、ナイマン、ペレシス、ピアソラの作品
ギドン・クレーメル&クレメラータ・バルティカ
12月23日 フィルハーモニー大ホール 20:00~

  • フィルハーモニー動物園、あるいはアンデルセンの童話「ナイチンゲール」に基づく音楽物語:9歳から99歳のお子様のためのコンサート
リカ・クレーメル(朗読)、ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)、クレメラータ・バルティカのメンバー
12月24日 フィルハーモニー小ホール 17:00~

クリスマスの季節に、2日連続でクレーメル&クレメラータ・バルティカのコンサート。こういうコンサートを聞くと、プロデューサとしてのクレーメルの能力に舌を巻く。でもだからといって、ヴァイオリニストとしてのクレーメルがダメだと言っているのではない。確かに80年代、90年代の切れ味は衰えたかもしれないけど、相変わらず一流のプレイヤーだと思う。ただそれ以上に今回感じたのは、この人のクラシック音楽の聞き方、演奏の仕方、コンサートのあり方を不断に問い直そうとする姿勢である。そもそもこの人は、クラシック音楽というジャンルをどのように捉えているのだろう?

私がクレーメルという人に興味を覚えだしたのは、「ピアソラへのオマージュ」を聞いてからだった。あれでピアソラと同時にクレーメルにも興味を覚えて、クレーメルのCDを集めるようになった。10年前、クレーメルとクレメラータ・バルティカがピアソラとヴィヴァルディの四季を組みあわせたCDを出したときは、実家の近くに彼らが来たので聞きにいった。とっても楽しかったコンサートだった。さすがに、あの時チェロのトップに座っていたマルタ・スドラヴァなどはもういない。

ただピアソラにしても、ジャンルを超えるというよりは、あくまでもクラシックの音楽家がピアソラを取りあげるとこうなるという印象が強かった。だが今回、特に第1夜のコンサートを聞きながら、通常のクラシック音楽とも違うかもしれない、という思いを抱いた。

前半はバッハの平均律クラヴィーア曲集などの曲を、クレメラータ・バルティカの編成に合わせて編曲し、切れ目なく演奏したもの。最後の、グールドの演奏するゴールドベルク変奏曲(晩年の録音)に合わせてクレーメルらが演奏するのが、印象に残った。後半は先ごろノンサッチから発売された「深き淵より」から5曲を演奏。しかしこのCD、日本では「ミハイル・ホドルコフスキーらに捧ぐ」ということになっているのだが、いいのかロシアで演奏して、と思ってしまう。もちろん、クレーメル自身によるプログラム解説を読んでも、ホドルコフスキーのことなんてどこにも書いていない。尤もそんなことが書けたら、ホドルコフスキーに捧げる必要もなくなってしまうだろうけど。ただ、プーチンに目の敵にされているということで、ペルトやクレーメルからホドルコフスキーが自由の闘士のように扱われているのも皮肉な気がする。

さて、こんなことを言ったらクレーメルは不本意かもしれないが、初日は「ヒーリング・ミュージック」に近い印象を受けた。もちろん単なる癒し系ではない。時々クレーメル好みの「汚い音」が聞こえてきて、普通のアダージョ系のクラシックとも違う。実は、クレーメルらが作りだす音楽を捉える適当なアンテナが自分の中に見つからなくて、戸惑ってしまったというのが正直な感想。でもアンコール(おしゃべりのような合唱)は楽しかった。

だが2日目は文句なし。やっぱりこの人のプロデュース力は半端ではない。アンデルセンの童話「ナイチンゲール」をベースに、サン=サーンスの「動物の謝肉祭」、メシュヴィツの「動物の祈り」、リドーの「フェルディナンド」、R. コルサコフの「くまんばちの飛行」、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」などを適宜織り込んでいく。リカ・クレーメル(クレーメルの娘?)以外にも、出演者全員がユーモアたっぷりにいろいろ喋って面白い。演奏は、いつものように特殊奏法を多用。もちろん会場の子どもは大喜びだったけど、大人が聞いても十分楽しかった。決して「子どもだまし」ではない、これぞ音楽!!ベートーヴェンの協奏曲などで聞かせてくれる過激なカデンツァも、子どもと一緒に音楽を楽しむ遊び心があってこそ、生まれてくるものなのかもしれない。

2日目の終演後、クレーメルのCDとエッセイを持って恐る恐る楽屋を訪ねてみたが、にこやかにサインしてくれた。他のファンとは一緒に写真に映ったりして、仕事のあとなのによくファンサービスをやるなあと思った次第。その後、楽屋を出たところで私の好きなロシアのジャズ・ベース奏者、ウラジーミル・ヴォルコフ氏とバッタリ鉢合わせ。彼も来ていたのか。ちょっとビックリした。

2010年12月19日日曜日

ペテルブルグでトゥランガリラ

  • オリヴィエ・メシアン:トゥランガリラ交響曲
ニコライ・アレクセーエフ指揮 サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団、フランソワ・ワイゲル(ピアノ)、トマ・ブロック(オンド・マルトノ)
12月19日 フィルハーモニー大ホール 20:00~

高校の時に出会って以来、愛聴している交響曲。そもそもこの曲を機に、本格的に「現代音楽」の世界へ足を踏み入れたような気がする。若きブーレーズから「売春宿の音楽」とけなされたらしいけど、メシアンの作品の中では抜群の親しみやすさ、カッコよさをほこっている。もともとロックバンドでキーボードを弾いていた原田節が、この曲に出会ってオンド・マルトノに開眼し、転向したように、この曲はプログレ系の人にインスピレーションを与える力も持っている。クラシックという枠にとらわれずに聞いたほうがいいかもしれない。

最近ではこの曲もだいぶ取りあげられる機会も増え、録音数も増えてきた。私自身、生で聞くのは2回目。前回は、2008年にPMFで取りあげられた際に聞きにいった。指揮は準メルクル、ピエール・ローラン・エマールのピアノに原田節のオンド・マルトノ、コンマスにライナー・キュッヒルという豪華メンバー。しかもこの日は、前半に細川俊夫をやるというハードなプログラム。臨時編成のユースオケにもかかわらず、ここまで仕上げてくるかという見事なアンサンブルの整いようだったが、楽しめたかというと、ちょっと微妙。アンサンブルを整えるのに精いっぱいで、その先を表現できていないという感じだった。余談だが、後日、北海道新聞に載ったコンサート評の書き手が、この曲のことを何も理解していなくて、ムッとした記憶がある。

さて、ペテルブルグ・フィルは得手不得手がはっきりしているオーケストラだ。ショスタコーヴィチなどでは日本のオーケストラが及びもつかないようなパワーを見せつけるが、慣れていない曲ではボロボロになる。メシアンなんて、もちろん慣れていない。開演前に譜面台を覗いてみたが、ピカピカの楽譜が置いてあった。そして出だしから金管と弦がずれ気味で、大丈夫かなと思いつつ聞いていたが、確かに結構危なかった。第5楽章の中間部でトランペットが思いっきり脱落したり、終楽章の前半で危うく崩壊しかけたり。CDにしたら、おそらく聞くに堪えないだろう。演奏の完成度は、かつてラジオで聞いたデュトワ&N響やチョン・ミョンフン&東フィルのほうが、絶対に上。

おまけにピアノのワイゲルが、風邪を引いているらしく、しきりに咳をする、鼻水が出てくる。見ていて、大丈夫かこの人と思った。気難しいアーティストなら、キャンセルしたのではないだろうか(ちなみに今日のピアノとオンド・マルトノのコンビは、NAXOSから出ている同曲のCDで演奏している)。

と書くと、なんかとんでもない演奏会だったみたいだけど、これが結構楽しかったのだから、音楽って不思議。少なくとも、PMFの時よりは楽しめた。ワイゲルも、遠くから見ていれば、おそらく風邪を引いていることに気がつかなかっただろう。見ている分には危うかったけど、音はきっちり出していた。

そして今日のMVPは、指揮者のアレクセーエフ。眉間にしわを寄せながら弾いているオーケストラに、一生懸命指示を出しまくって必死にまとめていた。複雑極まりない80分間の大曲を、よく勉強していた。立派だ。彼のおかげで、聞きごたえのある演奏になったような気がする。

確かにリズムが入り組んでくると、オーケストラが混乱してくるが、逆にある程度リズムが整理されてくると、オーケストラの持っている底力が生きてきた。このオケの得手不得手がはっきり見えたような気がした。

第5楽章の後、いったん休息。私の隣に座っていたお兄ちゃんは退屈したらしく、休憩時間に帰ってしまったが、一方でその時間に「気にいった」と話している人たちの声も聞こえた。そしてもちろん、オンド・マルトノを見るために前のほうへ人が群がっていた。しかし今日のオンド・マルトノには、ハイワットの普通のスピーカーがつながれていたが、あれでもいいのだろうか?

2010年12月18日土曜日

チョン・ミョンフン&フランス放送フィル in St. Petersburg

  1. モーリス・ラヴェル:組曲「クープランの墓」
  2. アンリ・デュティユー:メタボール
  3. エクトル・ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
チョン・ミョンフン指揮、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団
12月17日 フィルハーモニー大ホール 20:00~

14日に開幕した「芸術広場祭」だが、今年は露仏友好年にちなんでフランス特集。17日はチョン・ミョンフン率いるフランス放送フィル。前任者のヤノフスキの時代に一躍有名になったオケだが(ヤノフスキ時代の4枚組のCD BOXセットを持っているけど、確かにいい)、当日会場に行ってみると、席は4分の3ほどしか埋まっていない。一階席の一番後ろで1000ルーブルとチケットが高めだったので、それで売れ残ったのかも。日本の感覚からすれば、それほど高いとも言えないが。

今年の6月にも、チョン・ミョンフンはソウル・フィルを率いてペテルブルグに来ているが、その時はオケが指揮者の指示を守って、楽譜を几帳面に音にしていたのに対し、フランス放送フィルの場合は、よりオケに自発性が感じられた。どちらもチョンの指導の結果なのだろうが。

まずは「クープランの墓」。オーボエのソロが上手い!!ちょっとしたタメ、音の伸ばし方にセンスの良さを感じる。それが彼女の自発性によるものなのか、チョンの指示なのかは分からないけど、全体的に木管がとても上手い、というかセンスがいいと思ったのは確か。

続くデュティユーも見事な色彩感。ただ単に音を鳴らすだけではなくて、オーケストラが全体としてどういう響を出さなければならないかを団員一人一人が理解して、それぞれの役割を果たしている。5曲目に限っては金管が怪しかった気がするけど、デュティユーなんてロシアでめったに聞けないので(ましてやこの水準のものは)、満足した。問題は、隣に座っていた若い女性2人が小声で駄弁っていたことか。おまけに演奏の最中に席を移動する人がいるし。まったくロシアの聴衆は…。

ということで、幻想に期待したのだが、これはやや期待外れだったかも。メリハリの利いた演奏だったと思うのだが、今一つ興奮できなかった。ラヴェルやデュティユーの時に感じた、「この人たちにしか出せないもの」というのを感じさせるのに、あと一歩なのだ。先日のソヒエフの時も、指揮者はいろいろ工夫しているはずなのに、今一つだった。テレビ、ラジオ、CDでいろんな名演に接しすぎたせいか、満足できる幻想の実演に出会うのは、案外難しいのかもしれない。

アンコールでラヴェルの「マ・メール・ロア」より「妖精の園」を取りあげていたが、これは出だしから夢幻的な雰囲気が満点。そうそう、コレコレ。これが聞きたかったのだ。最後は満場の拍手にこたえて、「カルメン」前奏曲をやって終わり。

2010年12月15日水曜日

テミルカーノフのラヴェル

  1. モーリス・ラヴェル:組曲「マ・メール・ロア」
  2. 同上:左手のためのピアノ協奏曲ニ長調
  3. 同上:「ダフニスとクロエ」第2組曲
  4. 同上:ラ・ヴァルス
ユーリ・テミルカーノフ指揮、サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団、エリソ・ヴィルサラゼ(ピアノ)
12月14日 フィルハーモニー大ホール 20:00~

12月は聞きたいコンサートがたくさんあって困る…。

テミルカーノフとラヴェルってなんだか結びつかないが、でも実は、彼がデンマーク放送交響楽団を振ったラヴェルのラ・ヴァルスとマ・メール・ロアのCDは、結構いいと思う。特にラ・ヴァルスは熱い。

聞いた結果は、絶品というわけではないけれど、割と満足できる水準だった。ラヴェルの面白さは十分伝わってきた。ラヴェルといえば、ゲルギエフも得意にしている(一般には、ゲルギエフとラヴェルはまるで結びつかないみたいだけど、私の中では、ゲルギエフはラヴェルのような作品を振る時にこそ、その長所を発揮する)。確かに色彩感は、ゲルギエフのほうが上のような気がする。でもそう聞こえたのは、主に会場のせいではないだろうか。マリインスキーのコンサートホールのほうが残響が豊かで、それでいて音の抜けがいいので、ラヴェルのような近代管弦楽向きである。テミルカーノフの演奏も、マリインスキーのコンサートホールで聞いていれば、さらに名演に聞こえたかもしれない。何がともあれ、6月のマーラーの時のような違和感はなかった。

ソリストのヴィルサラゼは、最初からミスタッチでどうなることかと思ったが、最後のカデンツァは意外とちゃんと弾けていた。カンデンツァを集中的に練習したということ?それにしてもこの曲、素人の耳にはCDで聞く限り、両手で弾いているように聞こえる。実演で見ても、何で左手一本であれだけ音が出てくるのか不思議。

あと不思議だったのは、テミルカーノフの楽譜。最後のラ・ヴァルスで使用していたのは、たぶんDover版。われわれ音楽愛好家にとっては、Doverは手軽に入手できるありがたい出版社だが、テミルカーノフのようなプロの人も使うのだろうか?そういえば去年、ゲルギエフの「指輪」を見にいった時も、Doverを使っていたような…。ひょっとしたらめくりやすいとか。でも実はラ・ヴァルスの最中、テミルカーノフが一カ所めくり間違えて、慌ててページを戻していたのがちょっと可笑しかったのだが。

2010年12月12日日曜日

セルゲイ・ババヤンのリサイタル

  1. アルヴォ・ペルト:アリーナのために
  2. オリヴィエ・メシアン:「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より「聖母の最初の聖体拝受」
  3. ウラジーミル・リャボフ:幻想曲ハ短調「マリア・ユージナの追憶に」 作品21
  4. ヨハン・セバスチャン・バッハ:ゴールドベルク変奏曲 BWV988
セルゲイ・ババヤン(ピアノ)
12月12日 マリインスキーコンサートホール 20:00~

こういう演奏会を聞くと、ある音楽家が売れたり売れなかったりする要因は一体何なのだろうと思う。

もちろん、CDをどれだけ出せるかが大きいのだが、レコード会社と契約を結べるかどうかは、知名度によるところが大きい。つまり鶏と卵のような関係。結局、マスコミが取り上げるかどうかが大きいのだが、現代社会においてマスコミが持つ影響力はあまりにも大きいので、何でもかんでもマスコミのせいにしてしまうことに、かえって躊躇してしまう。「それはマスコミのせいだ」と言っていれば、間違ってはいないにしても、それはそれで思考停止に陥ることはないだろうか。

今日聞いたババヤンは、今年の4月に偶然聞いて、印象に残ったピアニスト。その点では、先日のマジャラと同じ。今日は前半で現代音楽、後半がバッハという意欲的なプログラム。しかしババヤンの名前がほとんど知られていないせいか、客席は寂しい状況。おかげで、タダで一番前の席に座れたが。

特に良かったのは前半。ペルト、メシアン、リャボフを連続して弾いたが、実に見事だった。最初のペルトからして、とても美しい音。生のピアノって、こんなに美しかったっけと思った。この人の演奏で、ドビュッシーも聞いてみたい。続くメシアンとリャボフでは、弱音と強音の対比が激しい。これも録音ではなかなか出せない。リャボフは初めて聞く名前だけど、メシアンと同じくピアノの技巧の限りを尽くした曲で、面白い曲だと思った。

いわゆる「精神性」を感じさせる演奏ではない。美しい音、とどろくような強い音、きらめく色彩感。でもそれがとても気持ちいい。子どものころ、ただ単にいろんな音を出すことが面白かったことを思い出した。

その点、後半のゴールドベルク変奏曲は、もう少し聞き手を引きつける工夫が必要かもしれない。繰り返しの際、装飾音符の付け方を変えたり、それはそれで面白かったが、何しろ50分の長丁場。それにこの曲には、グールドの新旧両盤を含め、様々な名演奏が存在している。その中で独自性を出すのは大変だ。

でも最後はとても満足した。疑問は最初に記したとおり、この人、もうちょっと名前が知られてもいいはずなのに、ということ。

2010年12月10日金曜日

ムソルグスキーとストラヴィンスキーのピアノ曲

  1. モデスト・ムソルグスキー:幼年期の思い出
  2. 同上:お針子
  3. 同上:村にて
  4. 同上:組曲「展覧会の絵」
  5. イーゴリ・ストラヴィンスキー:4つの練習曲
  6. 同上:セレナードイ長調
  7. 同上:ペトルーシュカからの3楽章
ニコライ・マジャラ(ピアノ)
12月10日 フィルハーモニー小ホール 19:00~

今年の3月に聞いて、「お、このピアニストいいかも」と思ったニコライ・マジャラ。昼間の疲れは残っていたし相変わらず雪は降り積もっているが、それでも聞きにいった。

しかしムソルグスキーとストラヴィンスキーの作品のみで構成されたピアノ・リサイタルなど、聞いたことがない。2人とも大作曲家とはいえ、ピアノの作曲家とはみなされていないからだ。もちろんムソルグスキーの場合は、代表作に「展覧会の絵」があるが、あれも事実上、ラヴェル編曲の管弦楽版で広まっているし。それにしても、「展覧会の絵」は不思議な作品で、ラヴェルという「決定版」があるにもかかわらず、次から次といろんな管弦楽版が現れる(でもラヴェル版の地位は揺るがない)。それだけでなく、チェロとアコーディオンで演奏したやつだとか(長谷川陽子のCD。結構好きである)、ELPのロック版だとか、一体どこまで編曲されていくのだろう。詳しくは、「展覧会の絵の展覧会」なるすごいサイトを参照。

とまあ、そんなことをつらつらと考えながら聞いていたのだが、「ボリス・ゴドゥノフ」や「ホヴァンシチナ」を一通り聞いたせいか、これまで「下書きっぽいなあ」(失礼!)と思っていたら「展覧会の絵」のオリジナル版から、ムソルグスキーの美学の匂いを感じ取ることができた。なるほど、こうして聞くと、ラヴェル版は少々派手すぎるかもしれない。でもラヴェルを超える編曲はなかなか現れない。

もちろんそんなことを考えたのも、マジャラの演奏が良かったからだ。たぶん世界中を探せば、彼よりもさらに指がよく回るピアニストはいるだろう。今、楽器の技術は本当に天井知らずだから。でも彼の音色に対するセンスの良さは、ちょっと得難い。心地よい響きに身をゆだねることができる。また、対位法の描きわけも上手い。曲の構造が立体的に見えてくる。これで120ルーブルは安かった。

<追記>
吉松隆氏がこんなことを書いているのを発見。ということは、昨日聞いたのはプログレの起源だったのだろうか?

2010年12月9日木曜日

雪、雪、雪のコンサート

  1. エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト:「雪だるま」より抜粋(ペテルブルグ初演)
  2. ニコライ・リムスキー=コルサコフ:組曲「雪娘」(D. ユロフスキ編)
  3. ピョートル・チャイコフスキー:交響曲第1番ト短調「冬の日の幻想」 作品13
ドミートリ・ユロフスキ指揮、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団、オリガ・トリフォノファ(ソプラノ)
12月9日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

一見して分かる、冬と雪がテーマのコンサート。まさしく今の季節にふさわしい。しかし会場にたどり着くまでが大変だった。今日のペテルブルグは夕方から猛吹雪。歩いていると、全身あっという間に真っ白。しかしバス停にも地下鉄の駅の入り口にも長蛇の列で、公共交通は使いづらい。ペテルブルグでここまで吹雪くことも珍しい気がする。

それはともかく、今日の指揮者はユロフスキ。といっても、最近ロンドン・フィルを振って売り出し中のウラジーミルのほうではない。ドミートリである。ネットで調べてみるとどうやらこの2人、兄弟らしい。

1曲目はコルンゴルトの「雪だるま」。何と作曲者11歳の時の作品。自分が11歳のとき、何していたかなと考えながら聞いてしまった。もちろんただの小学生だったわけだが…。オーケストレーションは先生のツェムリンスキーが手伝ったらしいけど、それにしても11歳の作品とはとても思えない。まるでR. シュトラウスの「ばらの騎士」のような甘い世界。マーラーやR. シュトラウスから神童扱いされたのもうなずける。これだけの恵まれた才能を持ちながら、晩年は「時代遅れ」のレッテルをはられて不遇だったというのだから、人生何が起きるか分からない。時代の波って恐ろしい。

次の「雪娘」は、同名のオペラから指揮者が自分で編んだもの。これはソプラノのトリフォノファが良かった。澄んだ声で発音も明晰。それにこういう曲を聞くと、R. コルサコフのオーケストレーションって凝ってるというのがよく分かる。ここに近代管弦楽法の基本があるんだなと。

メインはチャイコフスキーの1番。期待していたのだが、やや期待外れの演奏。このオケにとってチャイコフスキーは十八番のはずだが、今日は弦の鳴りが今一つで、リズムの詰めも甘い気がした。時々意外な内声部が聞こえてくる解釈は部分的に面白いが。もしかして指揮者がオケをいじくりすぎたのでは。もっとオケに任せればよかったのでは。

終演後は相変わらずの吹雪の中、歩いて帰る。

2010年12月4日土曜日

バレエ・プレルジョカージュ in St. Petersburg

  1. 結婚
  2. ケンタウロス
  3. 春の祭典
バレエ・プレルジョカージュ
12月3日 マリインスキー劇場 20:00~


「春の祭典」のラスト。百聞は一見に如かず。実際に見てくださいとしか、言いようがない。

女性が全裸になるなど、モダンバレエの世界では珍しくも何ともないかもしれないが、普段バレエを見ない人間が生で見てみると、やはり衝撃的である。特にロシアではこのような「過激な」振付には出会えないだけになおさら。テレビでは、日本では放送できないような下ネタが氾濫しているのに。そもそも、冒頭からして女性がパン××を脱ぐところから始まるのだ。なぜか今日はここで、会場から拍手と笑い声が起きた。おまけに、なぜか今日は子どもがたくさん来ていた。なんで…?

あからさまに性的な興奮を誘発する振付だが、でも「春の祭典」とはよく指摘されるように、人間の根底にはそういう衝動が潜んでいるということを暴きだした音楽なのだ。実は、以前びわ湖ホールで同じ振付を見たことがある。その時は、ラストの全裸にあっけにとられただけで終わってしまったが、今日は振付の意図を体感することができた。もちろん、最後に中央で踊る女性のダンサー(今日は日本人ではなかった)だけでなく、全員の動きが素晴らしく、また照明の使い方も見事だった。人間の原初的な欲望を、洗練された手法で描くというギャップの面白さ。

こういう「洗練された前衛」というのは、ロシアではなかなか出会えない。先日聞いたマルティノフにしても、よくも悪しくも素人っぽさというか、「単純さ」がある。理念としては難しいことを説いているのに、実際に出てくる作品はむしろ妙な「わかりやすさ」が付きまとっている。こういう前衛のアイディアなら、私でも思いつきそうだとふと思ってしまうのだが、それは聴衆として傲慢だろうか。

一方、今日のバレエは完全にプロの世界。こんな世界、私には絶対に作れません。ラストシーンで「興奮」を覚えながら、ああ完全にプレルジョカージュの手玉に取られてしまったと思った。もちろん聴衆の中には、あからさまに嫌悪感を示す人たちもいたけど。

でも考えてみれば、「春の祭典」はロシア人たちが作ってパリで初演したものなんだなあ。改めて思いおこしてみると、とても面白い。

「春の祭典」ばかりになってしまったが、「結婚」も「ケンタウロス」も面白かった。特に「ケンタウロス」(音楽はリゲティ)では、二人の男性のダンサーの肉体美を見せつけられた。