2010年6月11日金曜日

音楽と社会~ソウル・フィルのコンサート

  1. オリヴィエ・メシアン:忘れられた捧げもの
  2. チン・ウンスク:ヴァイオリン協奏曲
  3. クロード・ドビュッシー:海
  4. モーリス・ラヴェル:ラ・ヴァルス
チョン・ミョンフン指揮、ソウル・フィルハーモニー管弦楽団(ソウル市立交響楽団)、ヴィヴィアン・ハーグナー(ヴァイオリン)
6月11日 マリインスキーコンサートホール 20:00~


昨日、ネフスキーにある行きつけの楽譜屋に寄ってみると、何やら英語でショスタコーヴィチの楽譜を買い求めている2人組がいる。会話の内容からプロの音楽家だと思われたので、ちょっと声をかけてみると、ソウル・フィルのティンパニ奏者とホルン奏者だという。でも2人ともチェコ出身。へえ、ソウル・フィルも国際化しているんだ。明日聞きにいきますよ、と言って、その場は別れた。

さて当日、会場に着いてまずビックリしたのが、ホールの中が韓国人だらけだったこと。ペテルブルグにこんなにたくさんの韓国人が住んでいたの!?、というぐらい。しかもほとんどの人は、おそらく普段はマリインスキーに来ない人たちで、何やら観光客のように写真を取っている。子どもも多い。結局、聴衆の半分は韓国人だったのではないだろうか(誇張ではなく)。特にStall(中央の席)は、3分の2がおそらく韓国人。

しかも普段は、簡単な曲目解説と奏者のプロフィールが載ったプログラムを30ルーブルで売っているのだが、この日は無料で配布。しかもカラーでいつもより立派。ただし、しっかりヒュンダイ自動車の広告が載っている。それもそのはず、ヒュンダイがツアーのスポンサーなのだから。

今日のソウル・フィルのコンサートは、5月の末からイタリア、ドイツ、チェコと回ってきたツアーの最終日。モスクワでもやっている。どうやらこのツアー、単なる一オーケストラのコンサート旅行ではなくて、韓国社会が総力挙げて応援すべき、一大イベントのようだ。もちろん、韓国のテレビカメラも同行している。ゲルギエフのある種のコンサートとか、ウィーン・フィルのコンサートとか、音楽と社会、あるいは政治とのかかわりを否応なしに実感させられることが今までもあったが、この日もそう。こんなところで、韓国社会の一側面を目の当たりにするとは思わなかった。

そんなことを考えていると奏者が入ってきたのだが、これまたビックリ。西洋人が多い。弦楽器は韓国人、それも女性が多いが、金管は半分以上が西洋人。最初のメシアンなんて、トランペット奏者が3人とも西洋人だった。これもチョン・ミョンフンの戦略か。

では、そのオーケストラからどんな音が出るかというと、さすがに韓国社会の強力なバックアップを受け、世界的な指揮者が率いているだけのことはある。メシアンの冒頭、弦楽器が鳴った瞬間、お、と思った。もしかしてマリインスキーのオケより上手くない!?聞いているうちに、それは確信に変わった。明らかに、マリインスキーの弦より、音に厚みがある。ソロは確かに、マリインスキーのオケのほうが上手いかもしれないが、オケとしてのまとまりはソウル・フィルのほうが数段上。金管に外国人を多く起用していることもあり、パワーも十分。

以前、チョン・ミョンフンが合併した東フィルのスペシャル・アーティスティック・アドヴァイザーを引き受けたとき、「なんでそんなのを引き受けたのだろう」と疑問に思っていたが、FMで聞いていると東フィルのレベルがどんどん上がっていったので、すっかり脱帽したことがある。その時の経験からソウル・フィルも期待していたのだが、期待通りの出来だった。4曲とも実に洗練された演奏。チョン・ミョンフンという人、たぶん野球の監督で言うと巨人みたいなスターチームではなく、万年Bクラスのチームを鍛え上げて優勝争いまで持っていくことに生きがいを見出すような人ではないだろうか(かつてのソウル・フィルが「Bクラス」だったかどうかは知らないけど)。あるいはプロ野球より、高校野球の名将タイプ。

贅沢を言えば、もう少しオーケストラの持ち味が明確になればさらにいいのだが。つまりティーレマンとミュンヘン・フィル(残念ながら分かれてしまったが)を聞いた時のような、「こんなブルックナー、この人たちにしかできまい」と感じさせる域には、あと一歩足りないということ。でもそれは容易なことではないので、今後の楽しみということで。

終演後はスタンディング・オベーション。決して韓国人だけでなく、ロシア人も拍手喝さいで、私の両脇に座っていたロシア人のおじさんとおばさんは、2人と もブラボーを叫んでいた。

今のソウル・フィルなら、ヨーロッパの一流オケとも互角に勝負できる。繰り返すが、マリインスキーより上。ただ終演後、楽屋を訪ねて件のティンパニ奏者に「マリインスキーよりソウル・フィルのほうがいいと思います」と告げたところ、どうもお世辞を言っていると思われたらしく、「君は優しいねえ」と言われてしまった。いや、本気なのですが…。彼が言うには、「マリインスキーのオケは忙しいから」。まあ確かに、それはある。マリインスキーももっとリハーサルすれば、おのずと結果は変わってくるのに(と、何回このブログに書いていることやら)。でも乾坤一擲のソウル・フィルとルーティンワークのマリインスキーでは、前者のほうが聞きごたえがあるのは当然かも。

もう一つ、今日気がついたこと。今日はチョン・ミョンフンの指揮姿を見たかったので、左側面の一番上(Belle-etage)の席を取ったのだが、この席に座るのは、ティーレマンとミュンヘン・フィルの時以来。これまた驚いたのは、オーケストラの音がダイレクトに飛んできたこと。この位置って、こんないい席だったの!?ティーレマンの時に一度聞いているのに、何たる不覚。今度からは、この席を狙おう。

<追記>
現代音楽好きとして、チン・ウンスク(陳銀淑)のヴァイオリン協奏曲に一言。チン・ウンスクの曲を聞くのはこれが初めて。あくまでも素人の印象論だが、なるほど、天下のグラモフォンからCDを出すのもうなずける、確かな作曲のテクニックを持っていることが窺える。冒頭から何か変わった音がすると思ったら、何とスチールドラムを使用。オーケストラにスチールドラムというのは、初めて耳にした。でも結構調和している。

音楽は明確な旋律線はほとんどないものの、心地よい色彩感にあふれている。ソロパートもオーケストラパートも、決して技巧的に簡単とは言えないだろうが、全く危なげない演奏だった。

でもこういう音楽、あんまり好きではないなあ。難解なものこそありがたいという気はさらさらないけど、でも聞いていて「え、何これ」と、こちらの音楽観を突きくずしてくれるような衝撃を、特に現代の音楽には求めたい気がする。最近耳にした例で言うと、シュニトケの交響曲第1番とかクルタークの「カフカ断章」とか。あるいはロシアの前衛ジャズとか。その衝撃がここにはない。別にチン・ウンスクに限らず、タン・ドゥンあたりにも同じような不満を感じるので、現代音楽全体の問題かもしれない。

何年前だったか、ブーレーズがルツェルンの音楽祭で、前半、藤倉大などの新進の作曲家の作品を3つか4つほど演奏し、最後にヴァレーズの「アメリカ」を取りあげた演奏会をFMで放送していたが、私には最近の若手作曲家の作品よりも、ヴァレーズのほうがはるかにエネルギーがあり、刺激的で「現代的」だった。ブーレーズは若手作曲家に活を入れたかったのではないかと、疑ったほど。チン・ウンスクの作品を聞いて思い出したのは、その時のこと。現代音楽って、やっぱり袋小路にはまりこんでいないだろうか。

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