2012年8月11日土曜日

尾高&札響でマーラーの5番

  1. ジョヴァンニ・ボッテシーニ:グランド・デュオ・コンチェルタンテ(弦楽合奏版)
  2. グスタフ・マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調
尾高忠明指揮、札幌交響楽団、文屋充徳(コントラバス)、豊嶋泰嗣(ヴァイオリン)
8月10日 札幌コンサートホールKitara 19:00~

忙しくて3か月以上、コンサートに行かずじまいだった。

今日のコンサート、最初の作曲家ボッテシーニて誰という感じだったのだが、19世紀のイタリアで活躍した有名なコントラバス奏者、指揮者、作曲家らしい。実はヴェルディの歌劇「アイーダ」の初演を指揮したのは彼だとか。コントラバスの名手だったので、この楽器用にたくさんの曲を書いており、今日の曲もそのうちの1つ。

もうこれは純粋にコントラバスとヴァイオリンの妙技を楽しむための作品。ソリストの腕もしっかりしていたので、文句はない。もっと遊んでくれてもいいと思ったけど。一方、オーケストラのほうは初見で弾けるんじゃないかというぐらい単純な伴奏に徹している。後半のマーラーが大変なので、あえて負担の少ない曲にしたのかも。

さて、メインのマーラー。尾高忠明の指揮は「堅実」の一言。派手に体を動かすことはしないけど、オーケストラをしっかりコントロールしている。最近の札響定期、どうもピンとくる演奏に出会えなかったのだが、今回は久々に「生のオーケストラの響きってやっぱりいいなあ」と思えた。札響が誇るトランペット奏者福田善亮のソロに導かれてオーケストラが入ってきたときの響き、迫力。

ただし気になった部分もあって、それが第4楽章。管打が活躍する部分では、尾高さんのコントロール能力の高さが良くわかるのだが、弦楽器だけになると…。別に悪くはないけど、もっと歌えるんじゃないだろうか、もっと豊かな響きが出せるんじゃないだろうかと思ってしまう。前から気になっていたのだけど、意外と札響の弱点て弦楽セクションにあるのかも。それが正直な感想。

2012年5月5日土曜日

エリシュカ&札響の「新世界より」

  1. アントン・ドヴォルザーク:スケルツォ・カプリチオーソ 作品66
  2. 同上:交響詩「野鳩」 作品110
  3. 同上:交響曲第9番ホ短調 作品95 「新世界より」
ラドミル・エリシュカ指揮、札幌交響楽団
4月27日 札幌コンサートホール 19:00~

06年に札響と初共演以来、人気急上昇のエリシュカ。彼の指揮で「新世界より」ならてっきり売り切れかと思ったら、然に非ず。やっぱり金曜日の夕方は、なかなか人が来づらい。

とにかくエリシュカが振ると、札響がワンランク上のオーケストラに聞こえる。楽器の重ね方にしろ歌わせ方にしろ、何というか、「高級感」が出てくるのだ。

前半の2曲はそれほど聞いたことがないので、何とも言えないが、「新世界より」はゆったりしたテンポで、上記の特徴がより顕著に感じられた。札響は何度もこの曲を演奏しているはずなのに、決して弾きとばさない。チェコ出身の指揮者だからローカル色があるかというと、むしろ逆の印象で、ものすごく洗練されたドイツの交響曲に聞こえる。今回の演奏はCD用に録音したらしい。たぶんHMVなどのユーザーレビューで、結構高い評価を得るのではないだろうか。終演後の拍手もかなり長く、帰り際、横を通り過ぎたおじさん2人が、「いや~堪能しました」と言っていたのが印象的だった。

が、にもかかわらず、である。私個人としてはイマイチ演奏に浸れず、退屈してしまったことも事実である。なぜって言われても困るのだが・・・。聞きながら思いだしたのは、私は長い間「新世界より」という曲が苦手だったということ。小学生の時以来、この曲がなんでそんなに名曲とされているのかさっぱり理解できなかった。この曲をまともに聴けるようになったのは、ここ5年ほどのこと。この演歌っぽい、ダサいメロディー、これこそが吉松隆の言う「恥ずかしいことは気持ちいい」を地で行く例なのだと、やっと理解することができた。そんな私にとって、エリシュカの奏でる音楽はあまりにも「上品」すぎる。質の高さは十分認めるけれども。

でも案外、CDで聞くと気に入ったりして・・・。

2012年3月25日日曜日

クレメラータ・バルティカによるカンチェリ特集

  1. ギヤ・カンチェリ:V&V
  2. 同上:Ex Contrario
  3. 同上:夜の祈り
  4. 同上:Chiaroscuro
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)、イーゴリ・ブートマン(ソプラノ・サックス)、クレメラータ・バルティカ
3月24日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

ペテルブルグ滞在最後の夜。実はペテルブルグを離れるのを25日にしたのは、このコンサートに興味があったから。せっかくクレーメルを聞くチャンスを逃す手はない。チケットも幸い安かった。一番後ろの席で200ルーブル(約600円)。

もっともカンチェリが好きかと言われると、むしろ苦手な作曲家に属する。グバイドゥーリナとか、旧ソ連圏の現代作曲家の多くに言えることだが、彼(女)らの作るサウンドが、いかにも深刻ぶっているように聞こえてしまうのだ。しかもロシア正教の大斎期にちなんだコンサートであるため、入り口で正教関連の本が売られていたり、正教会が支援している難病の子どもを救うプロジェクトへの募金が呼びかけられていたり、全体に宗教色が強い。ある意味、今のロシアのあり方が垣間見えて興味深いが、通常のコンサートとは雰囲気が違うため、私のような不信心者はちょっと戸惑ってしまう。

クレメラータ・バルティカのアンサンブルの精度は、さすがにマリインスキーやフィルハーモニーのオケよりはるかに上だが、カンチェリの音楽そのものには最後までのめりこめなかった。4曲ともほとんどピアノやピアニッシモでできており、時折大きな音が鳴る。その静粛の世界は確かに美しいのだけど、どこかに「嘘っぽさ」を感じてしまう。ただ、それはなぜか、と言われても「直観」としか言いようがなく、しばらく考えてみたい。

そうした中では、皮肉にもクレーメルが出演しなかった「夜の祈り」が比較的気に入った。ジャズサックス奏者のヤン・ガルバレクに捧げられたというこの曲、この日はロシアのジャズ界を牽引しているイーゴリ・ブートマンがソリストを務めた(本当に豪華な演奏会である)。ガルバレクならもっと甘く切なく歌いそうなところを、ブートマンは直球勝負で吹き切ったが、私にはブートマンのほうが好みに合っている。

渋いプログラムだが、会場は立ち見が出るほどの超満員。拍手も盛大だったが、特にカンチェリご本人が姿を現すと、スタンディングオベーションが起こった(いや、作曲家の姿を拝みたかっただけか)。

ただねえ、こういう静粛が支配する音楽でも、携帯が鳴りまくるのはいかにもロシア的というべきか。一体お前らカンチェリの何を聞きに来たんだと言いたくなる。

2012年3月23日金曜日

初春の夜の夢

  • ベンジャミン・ブリテン:歌劇「夏の夜の夢」

パーヴェル・スメルコフ指揮、マリンスキー劇場管弦楽団、アルチョーム・クルティコ(オベロン、カウンターテナー)、オリガ・トリフォノファ(タイターニア、ソプラノ)、アレクセイ・ソルダトフ(パック)、ウイラード・ホワイト(ボトム、バス・バリトン)ほか
3月21日 マリインスキー劇場コンサートホール 19:00~

タイトルからいけば季節はずれなのだろうが、マリンスキー劇場でブリテンの「夏の夜の夢」を見る。今のロシアはちょうど雪が解けだし、冬から春に変わろうとしている季節。おかげで道はぬかるみ歩きにくいことこの上ないが、長い冬を経た後だとちょっと嬉しくなる。そのことは以前住んでいた時に感じた。

今回はまず演出が素晴らしかった。薄暗い照明の中、ワイヤーを利用して白い妖精たちが飛びまわる。派手すぎない演出が曲の雰囲気に合っていた。


歌手の中で特に気に入ったのはタイターニア役のトリフォノファ。美しいよく通る声で妖精の女王を歌い上げていた。ウイラード・ホワイトも当然うまかったけど、この人ならもっとうまくできるのではなかろうかという気もする。それ以外だと、パック役のアレクセイ・ソルダトフがまさしく狂言回しという感じで印象に残った。

一方、オケのほうは未消化の印象が強かった。ブリテンの凝った管弦楽法がなかなか再現されない。音と音の間に隙間風が吹いている。そう、マリインスキーって音は並ぶのだけどなあと思いつつ、全曲聞いた。

実はこの日の演目、本当はゲルギエフが振るはずだった。ところがカーテンコールで登場したのはスメルコフ。確かにオーケストラピットから見えていた頭には髪の毛があったし(笑)、手の動かし方もいつもと違うと思っていたが。あれ、なんで?ゲルギエフが珍しく病欠?

翌日、さる劇場の関係者に話を聞くと、リハーサルまではゲルギエフがやったものの、突然「オレ振らない」と言いだし、スメルコフを電話で呼びだしたそうな。スメルコフがこの曲を知っているとはいえ、そんなのありかよ。

<追記>
休憩時間、ロビーでチェチーリア・バルトリを目撃。失礼を顧みず、おおこれがあのバルトリか、と見入ってしまった。もちろんすぐに、ファンの人たちがサインをねだりに集まってきた。

22日は同じ会場でバルトリのリサイタルがあった。1席5000~6000ルーブルにもかかわらず、ほぼ完売。さすが。ただし20日にあったリハーサルの際、ゲルギエフは2時間遅刻して、その間、やっぱりスメルコフが代役を務めたそうである。こちらも「さすが」。

2012年3月18日日曜日

日曜、お昼のコンサート

  1. ピョートル・チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 作品23
  2. ベラ・バルトーク:管弦楽のための協奏曲
アナスタシア・デディク(ピアノ)、サブリエ・ベキロワ指揮、サンクトペテルブルグ交響楽団
3月18日 フィルハーモニー大ホール 15:00~

日曜のお昼という時間帯のせいか、フィルハーモニーの大ホールがほぼ満員。確かにくつろぎながら聞くにはちょうどいい時間だ。かくいう私も、そう思ってきたわけだし。ちなみにソリストも指揮者も女性。オケはフィルハーモニーの第二オケ。

まずチャイコフスキーの有名な冒頭、ホルンがコケ気味。おい、この曲何回も演奏しているだろう、しっかりしろ、と思っているうちにピアノが入ってくる。あんまり力強さは感じないけど、タッチはきれいである。いわゆる典型的な「女性的な」演奏ということになるだろうか(作曲家の吉松隆に言わせると、「女性的な演奏というのはダイナミックで、男性的な演奏というのは繊細なもの」なのだそうだが)。ただチャイコフスキーの協奏曲は、若き日のホロヴィッツとか、はたまたアリゲリッチとか、猛者が暴れまくる曲というイメージがあるので、もうちょっと「大きな音」が欲しい。モーツァルトやベートーヴェンを彼女の演奏で聞くと良いかも。オケのほうは…特に金管セクションの泥臭い音、典型的なロシアのオケだと思う。

休息後のバルトーク。木管セクションンは結構健闘していた。第2楽章の「対の遊び」など、はまっていたように思う。問題は前述の金管、中でもトランペット。とにかく出す音のほとんどがメゾピアノ以上。音色も含め、明らかにバランスを壊しているのだが。「対の遊び」でも、トランペットの部分だけ浮いていた。おまけに終楽章の2本のトランペットが掛け合う箇所など、目立つところで吹きそこなうし。終楽章のコーダも、金管がファンファーレを吹きそこなって何が何だか分からなくなったまま、でもなぜかきっちり最後の和音がなるという、不思議な終わり方だった。

指揮者については書かなかったが、率直に言ってあまり顔が見えなかったなあ。

バーエワによるメンデルスゾーンとシベリウス

  1. フェリックス・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64
  2. ヤン・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品47
アリョーナ・バーエワ(ヴァイオリン)、ザウルベク・ググカエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団
3月17日 マリンスキー劇場コンサートホール 19:00~

以前、滞在中に聞いて気に入ったヴァイオリニスト、バーエワが折よくマリインスキー劇場でのコンサートに出演。ヴァイオリン協奏曲を2つ演奏するという、変わったプログラムであるが。指揮のググカエフ(Gugkaev)は、2010年5月にバーエワがマリインスキー劇場に出演した時も、ブラームスで協演していた。あの時は、なかなか良かった。今回もバーエワのバックを振ることになったのは、ひょっとして彼女に気に入られたのだろうか。

さて、今回のコンサート、まずオーケストラのメンツが一軍。つまりゲルギエフが振るときによく顔を見る人たち。指揮者がまだ無名の若手なだけに、ちょっと意外。続いて姿を現したバーエワ。あれ、激ヤセ!? ずいぶんとほっそりしている。ちょっと痩せすぎではなかろうか、と不安になる。

結果的に言うと、立ち上がりはやや不安定だった上、メンデルスゾーンの第1楽章の半ばで、バーエワのヴァイオリンの弦が切れるというアクシデントがあった。だがすぐにコンマスのヴァイオリンと取り替えて、カデンツァを見事にクリア。これで吹っ切れたのか、この後は徐々に乗ってきたように感じた。休息後のシベリウスはもっと熱く、でも踏み外しのない演奏で気に入った。

でも印象に残ったのはむしろググカエフ。彼の指揮は、ゲルギエフそっくりの指揮棒を持たず手のひらをユラユラさせる振り方。楽器のバランスを整えるのがうまい人で、オーケストラが色彩的に響く。なおかつときどき、おそらくあえてバランスを崩して積極的な表現意欲を垣間見せてくれる。まあ、崩しすぎてしまう時があるのは若さゆえのご愛嬌だが。特にティンパニー、炸裂しすぎ。

ただ前述のような振り方のためか、ソリストにつけてちゃんとアンサンブルを整えるのは、正直なところまだあんまりうまくない。たとえばシベリウスの第1楽章や第3楽章の終わりの和音など、ソリストと完全にずれてしまっている。こういったところをビシッと決められれば、演奏全体がさらに引き締まったと思うのだが。

でも400ルーブル(約1200円)の価値は十分あるコンサートだった。

2012年3月17日土曜日

11ヶ月ぶりのペテルブルグ

  1. ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト:交響曲第41番ハ長調「ジュピター」 K.551
  2. リヒャルト・シュトラウス:アルプス交響曲 作品64

アントニ・ヴィト指揮、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団
3月10日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

11ヶ月ぶりに帰ってきたペテルブルグ。約2週間滞在予定。

この日は、ネットで評判がいいアントニ・ヴィトがフィルハーモニーの第一オケを振った。でも私は彼のCDを持っていない。実演でも聞いたことがない。さて、どんなものだろうと聞きに行った次第。というか実は、このコンサートに合わせてペテルブルグ入り。

最初はモーツァルトのジュピター。あのお、なんだかチューニングがちゃんとできていない気がするのですが。そうそう、ロシアのオケって大体こういうアバウトなチューニングで済ませているんだ。でもそれが、モーツァルトのような曲には致命的。メリハリを欠いた演奏になってしまった気がする。

一方、リヒャルト・シュトラウスになると、ロシアのオケのパワーが活きてくる。やっぱり金管、よく鳴るよな。これでチューニングをもっとしっかりすれば、もっと音が飛ぶのだろうけど。ただし正直に告白すると、私はこの曲自体があんまり好きじゃないのだ。アルプス登山の一日を描いて、だからどうしたという気になってくる(じゃあ聞きに行くなよ、という話になるのだが)。

結局、ヴィトがどういう指揮者かは、まだ判断しづらい。今度は別のオケ、別の曲で聞いてみたい。


2012年2月12日日曜日

札響のトゥランガリラ

  • オリヴィエ・メシアン:トゥランガリラ交響曲
高関健指揮、札幌交響楽団、児玉桃(ピアノ)、原田節(オンド・マルトノ)
2月10日 札幌コンサートホール 19:00~


トゥランガリラって滅多にやらないから、生で聞くチャンスがあったら逃さないようにしようと思っていたら、これで実演に接するのは4度目。10月にもN響定期で聞いたばかりだし(ソリストも同じコンビ)。いつの間にか、最もよく接している曲になっているかもしれない。

札響がこの曲をやるのは初めて。意外なことに、高関さんもこの曲を振るのは初めて。札幌でやるのは、2008年のPMFで取りあげて以来、2度目らしい。ちなみにその時も私は聞きにいきました。準メルクルの指揮で、アンサンブルはかなり整っていたけど、この曲の持つ色彩感というか、色気を感じさせるところまでは、達していなかったように思う。アンサンブルを整えるだけでも大変なのだから、贅沢は言うべきではないのだろうけど。結論を言ってしまえば、この日も同じ感想を抱いた。

プレトークで、高関さんが「難しい曲なので、途中で止まってしまうかもしれません」と言っていたが、全体的には危なげなかった。高関さんのタクトはいつもながら明晰。第5楽章の中間部なんて、金管あたりが迷子になってしまうケースがしばしば見受けられるけど、この日は見事。そもそも本当に止まってしまう可能性があったら、そんなことをプレトークで客に向かって言わないだろう。

と、部分的には聞きごたえがあったものの、全体としてはまだ奏者同士がお互いの音を聞きあって、1つのサウンドを作るところまで達していなかったような気がする。慣れていないのはいいのだけど、それを「新鮮」と感じさせてくれなかったのは残念。こうして聞くと、やっぱりN響って上手いんだなということを実感した。そもそも札響は武満徹を除くと現代音楽をあまりやらないので、そうしたことも反映しているのかもしれない。

なお、高関さんは3月末をもって札響の正指揮者を退任されるそうだ(と言いつつ、5月の札響定期でベートーヴェンの荘厳ミサを振るけど)。お疲れさまでした。そういえばこの人、以前私が大阪で暮らしていたころ、大阪センチュリー(現、日本センチュリー)の指揮者をやっていたし、今度もまた引越先で会うかも。

2012年1月21日土曜日

久々に行ったコンサートは「超音楽」

<Kitara現代音楽入門講座> ジョン・ケージ生誕100年
メタミュージック meta music (超音楽)~音楽を越境した音楽たち~
  1. ジョン・ケージ:クレド・イン・アス
  2. リュク・フェラーリ:偶然的出会い
  3. 同上:何もなし第1番(休憩)
  4. マウリシオ・カーゲル:エクゾティカ
  5. モートン・フェルドマン:ヴィオラ・イン・マイ・ライフ3
  6. ジョン・ケージ:クレド・イン・アス
甲斐史子(ヴィオラ)、大須賀かおり(ピアノ)、磯崎道佳(美術家)、伊藤隆介(映像作家)、梶谷拓郎(ダンス)、札幌舞踊会、Kitaraメタミュージック特設アンサンブル
2012年1月21日 札幌コンサートホールKitara 14:00~

今年最初の、というより10月以来の久々のコンサート。ここのところ忙しくて行く機会がなかった。

札幌の音楽環境って嫌いじゃないのだけど、不満は現代音楽のコンサートがなかなかないこと。ところがなんとジョン・ケージをテーマにしたコンサートがある。珍しさに飛びついてしまった。

客が来るのかと思っていたが、450席ある小ホールがほぼ満員。ダンスや映像とコラボレートして、視覚的にも楽しめるようにしていたのが大きいのかもしれない。実際、ジョン・ケージの作品におけるモダン・ダンスとの一体感は見事だった。演奏していた特設アンサンブルは、北海道教育大学岩見沢校の在校生と卒業生によるものらしいが、洗練されていて上手かった。

ただこの洗練された感じが、ジョン・ケージの望んだものなのかどうかは、ちょっと引っかかるものが…。ちょうど70年前に作曲されたCred in us は、初期の作品ながら、早くも偶然性を取り込んだ実験的な作品。ラジオから流れてくる音楽に始まり、空き缶を打楽器として使用する。いわばコンサートにおける日常性と非日常性の境界を突きくずすのが目的だったはずだが、今日のコンサートの中では完全にコンサートという「非日常」の中に取りこまれ、観客に「鑑賞」されていた。いいのだろうか、これで?いっそのこと、演奏の最中に携帯電話を鳴らして、みんなを「日常」に引きもどしてやろうかと思ったぐらい。もちろんやらなかったけど、ケージの場合、「作曲家の意図に忠実になる」というのが、ベートーヴェンとかとは違った意味で難しいと感じた。

その点ロシアで聞いたケージは、ある種の素人っぽさを残しつつ、ケージの意図に沿ってコンサートにおける日常と非日常の境界を曖昧にしてくれた。まあ、あの国のコンサートは、ベートーヴェンやマーラーの演奏中にも普通に携帯が鳴って、日常に引きもどされてしまうのだが。

何がともあれ現代音楽は好きなので、こういう試みを今後もジャンジャンやってほしい。