2010年1月3日日曜日

ゲルギエフの名演!?~ゲルギエフ、シチェドリンを振る


  • ロディオン・シチェドリン:歌劇「魅せられた旅人」(Очарованный странник /The Enchanted Wanderer)
ワレリー・ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団ほか
1月2日 マリンスキー・コンサートホール 16:00~

急にモスクワからお客が来ることになり、せっかくなので何か接待しようと、比較的安く、しかも確実に手に入るこの公演に連れていくことに。「くるみ割り人形」の後、偶然にも「くるみ割り人形」という劇場近くの喫茶店で時間をつぶした。結構感じのいい、こじんまりとした店だった。

会場に入った時点では、さすがに少し疲れていて、「これは寝るかも」と思っていたが、演奏が始まると作品の面白さに一気に引きこまれてしまった。もちろん、それくらい演奏が良かったのである。今までこのブログでさんざんゲルギエフとマリインスキーの演奏に苦言を呈してきたが、この日の演奏は違った。去年さんざん聞かされた「駄演」の数々は一体何だったのかという言いたくなるぐらい、1時間45分、緊迫感にあふれていた。よりによってほとんど偶然行った公演で、なんで?作曲者が臨席しているから?毎回とは言わないまでも、もうちょっと普段から、これくらいの演奏をしてくれないだろうか。

「魅せられた旅人」は、間もなくマリインスキーの自主製作盤としてCDが発売されるらしく、HMVなどのサイトにも広告が出ている。ただ宣伝文にあるような、「抱腹絶倒」という要素はオペラ化に際してはぎ取られたらしく(原作は未読)、むしろシリアスな宗教劇の様相を呈していた。会場で買ったプログラムを訳出すると、以下の通りになる(たぶん誤訳している個所がいろいろあるはずなので、見つけ次第勝手に訂正します)。

あらすじ
第1部

ヴァラームの修道院の見習い僧である、イワン・セヴェリャノヴィチ・フリャギンは、自らの人生について回想している。少年時代のある日、彼は「面白半分に」鞭打ちによって修道僧を殺してしまった。その後、修道僧は夢に出てきて、懺悔もせずに彼の人生を奪ったことを非難した。彼がイワンに向かって語るには、イワンは神と「契約した」息子であり、本当の「死」が訪れるまで、彼は何度死んでも死ぬことができないという、「予兆」がある。そこで「契約」にしたがって、イワンはヴァラーム島の修道院に入るべきだと言うのである。イワンは信じなかったが、修道僧の予言は現実のものとなった。巡礼の最中に、彼はタタールによって囚われの身となり、彼らとリン・ペスキで10年間過ごすことになった。そこから逃げだし、故郷へ戻る道中、彼は牧人たちと出会い、イワンの馬をさばく能力を見こんだ公爵に仕えることになった。しかし、熱心にそこで3年間勤めたものの、イワンは酒に溺れるようになった。そしてある居酒屋で、彼は催眠術の能力を持った地主と出会う。同じ夜、別の居酒屋でイワンは、公爵からゆだねられたお金をすべて、美しいジプシー歌手グルーシャのために浪費してしまう。

第2部
公爵がイワンに、彼にゆだねた5000ルーブルの返還を要求すると、イワンは罪を認めて美しいジプシーの女性の話をした。グルーシャに惚れこんだ公爵は、彼女のジプシーの一団に支度金として5万金ルーブルを払い、家に連れてくる。しかし公爵は気まぐれな人物であり、すぐにグルーシャに飽きてしまう。街へ向かう途中、イワンは彼の主人が裕福な貴族の女性と結婚することを計画しており、帰路にはジプシーの女性はいないであろうことを知る。公爵は、ひそかに彼女を森の沼地に消そうとしていたのだ。しかしグルーシャは監禁から抜けだし、イワンに会って彼に恐るべき誓いを結ぶよう迫る。つまり彼女を殺すか、さもなくば彼女が、信用できない公爵とその若い花嫁を殺すというものである。グルーシャの要求を実行するため、イワンは彼女を頂きの上から川に投げ落とす。合唱が彼女の死を嘆く。幻影の中で、イワンは修道僧と彼が殺したグルーシャの声を聞く。

解説:ロシアの魂に魅せられて…
「もし「ロシアの魂」というものが本当に存在するのなら、レスコフほど信仰の問題に答えてくれる人は他にいないでしょう」とロディオン・シチェドリンが語ったのは、ニコライ・レスコフの同名の小説に基づく歌劇「魅せられた旅人」の初演後のインタビューにおいてである。
シチェドリンは、「魅せられた旅人」のジャンルを、オラトリオと類似性のある「演奏会用オペラ」と定義している。オペラの開始にテーマが要約されていて、ソリストは語り手であると同時に主要な登場人物であり、合唱が大きな役割を果たす。「このオペラは、たぶんいくらかバッハの受難曲に似ています。この曲でも、バッハのマタイ受難曲のように、主要な登場人物は第三者のように自らについて語るのです」と作曲者は語っている。しかしながら、バッハ以外にも、他の作品、特にストラヴィンスキーの「エディプス王」とは、悲劇的なプロットが無慈悲な構成となって現れている点で、関連がある。「魅せられた旅人」における、原始的なまでにあらかじめ定められた舞台上の禁欲主義は、音楽的なダイナミズムによって十分すぎるほど報いられる。シチェドリンは最高峰のプロの音楽家であり、純粋に音楽的な手法によって聴衆の耳目をつかむことができるのである。著名な作家ソロモン・ヴォルコフは、シチェドリンのオペラ「魅せられた旅人」を「ロシア的性質の根本的な部分に対するアクチュアルなまなざし」とみなしたうえで、次のように書いた。「これは、寓話オペラ、聖徒伝オペラであり、いわゆるロシアの魂の神秘を究明しようとする、真摯で敬服すべき試みである…」
エゴール・コヴァレフスキー


静謐な宗教音楽と、大胆な不協和音を組み合わせた音楽も良かったが、簡素ながらインパクトのある舞台も見ごたえがあった。さながら洗練された現代演劇を見ているよう。舞台中央に垂れ下がった巨大な綱や舞台中に植えられた枯れた葦(?)、古代の日本か朝鮮を思わせるような衣装等々、よく分からないながらも見ていて楽しかった。実を言うと、このオペラのインパクトが強すぎて、この日のメインだったはずの「くるみ割り人形」の印象がかすんでしまったほど。

演奏終了後は、ロビーでゲルギエフ、シチェドリン、そしてシチェドリンの伴侶であるマイヤ・プリセツカヤ(!)が公開トークを行っていた(上の写真はその時の様子)。プリセツカヤはさすがに今でも絶大な人気があるらしく、出てきたとたんに盛大な拍手。ゲルギエフは相変わらず元気で、のべつ幕なしにマリインスキーの今後などについて、喋りまくっていた。7時半になってもまだ喋っていて、こちらはさすがに疲れて帰ってしまったが、でもゲルギエフは8時からもう一度同じオペラを指揮するはずで…。この人、どれだけパワーがあるのだろうか。

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