2009年6月14日日曜日

ゲルギエフの「パルジファル」

リヒャルト・ワーグナー 舞台神聖祝祭劇「パルジファル」(演奏会形式)

ワレリー・ゲルギエフ指揮 マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団 ヴィオレッタ・ウルマーナ、ルネ・パーペほか

6月12日 マリインスキー劇場コンサートホール 18:00~

会場に入ると、舞台上に何本ものマイク。明らかに録音用。CDにするのだろうか。

まさかよりによって、初のワーグナー全曲生体験が、「パルジファル」になるとは思わなかった。ワーグナーのオペラの中(もちろん、「さまよえるオランダ人」以降)で最もとっつきにくかったのだから。最近になって、第一幕や第三幕の後半の合唱など、聞きどころを覚えたが、「渋い作品」という印象は変わらない。ましてや演奏会形式など耐えられるだろうかと思いつつ、そう頻繁に聞けるとも思えないので、聞きに行った(そういう動機で、気楽にコンサートに行けるのがペテルブルグのいいところ)。というわけで、演奏の善し悪しが判断できるほど曲のことを知らないのだが、以下、簡単な感想。

前奏曲が始まって、「ああ、今日は帰るのが遅くなるぞ(笑)」と思った。案の定、コンサートが終わったのは午前0時近く。いつものことながら、実際の演奏が始まるのは予定時刻より20分近く遅れたし、休息時間も長かったが、それでも演奏に4時間半ほどかけたことになる。以前徐京埴の『ディアスポラ紀行』(岩波新書)を読んだとき、ワーグナーに魅せられつつも、ナチスの影がぬぐいきれないことからくる葛藤を告白していて、興味深く読んだ。その中で著者が、「パルジファル」のライヴ(指揮はサイモン・ラトル)を聞く場面がある。確か「おそらく曲がもたらす疲労感も計算に入れて、聴衆を陶酔させている」と分析されていたと思うのだが、実際に「パルジファル」を聞きながら、その記述を思いだした。ただこれが演奏会形式でなければ、もっと陶酔感は高まったかもしれない。また第一幕と第三幕に出てくる鐘が、シンセサイザーで代用されていて(意外とゲルギエフはこういう点、こだわらない)、この点は正直いささか興醒めだった(CDにする際は、どうするのだろう)。

3週間後には、「指環」全曲が待っている。「パルジファル」を聞いて「指環」を聞いて、私もワーグナー教の信者になるのだろうか。続きは「指環」の後で。

0 件のコメント: