2009年6月30日火曜日

クン・ウー・パイクのラフマニノフ

セルゲイ・ラフマニノフ ピアノ協奏曲第1番~第4番+パガニーニの主題による狂詩曲

クン・ウー・パイク(ピアノ) アレクサンドル・ドミトリエフ指揮 サンクト・ペテルブルグ交響楽団

6月28日、29日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

ラフマニノフのピアノ協奏曲全曲とパガニーニ・ラプソディーを2日間で全部弾ききるという、なんとも挑戦的なプログラム。このプログラムに挑戦できるピアニストは、今世界に何人いるだろうか。しかも挑戦するだけでなくて、最後まで綻びを見せなかった。

パイクはとてもきれいな音を出す。ピアノのことをあれこれ論じる能力はないけれど、ラフマニノフのびっしり書きこまれた音符が一音一音明確に、それでいてとても柔らかい音で、聞こえてきた。これが最後(難曲中の難曲、3番!)まで維持されていたのだ。5曲とも見事だったが、どれが一番良かったかと問われれば、「パガニーニ」だろうか。曲のロマンチックな部分とモダンな部分の両方が、上手く表現されていた。

問題はオーケストラ。このオーケストラ、個人技はともかく、アンサンブルの精度がイマイチ。リハーサルの時間が足りなかったのだろうかと思わせるほど、ピアノとの絡みが上手くいかない。先日、宮城敬雄の指揮で崩壊しかけたのも、あながち指揮のせいばかりでもなさそうだ。しかも洗練された音色を出すパイクに対し、このオーケストラは良くも悪しくも古いロシア的な音色を出す(特に金管)。その点でも、齟齬を感じた。

もし伴奏がアシュケナージ指揮のサンクト・ペテルブルグ・フィルだったら、さぞかし心に残る名演になっただろうと、勝手な想像をしてしまった。

2009年6月28日日曜日

タタルニコフの「3つのオレンジへの恋」

セルゲイ・プロコフィエフ 歌劇「3つのオレンジへの恋」

ミハイル・タタルニコフ指揮 マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団ほか

6月27日 マリインスキー劇場 19:00~

プロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」と言えば、もっぱら行進曲のみが知られている。2分にも満たない中にプロコフィエフのエッセンスが凝縮されているので、よく知られている(編曲も多い)のは尤もなのだが、今回全曲演奏に接して、行進曲ばかりが有名なのは惜しいと思った。全編、実にユーモアあふれる楽しい音楽なのだ。あらすじについては、こちらを参照。バレエにしてもよさそうなストーリーである。

演出も巧みだった。舞台上は意外と簡素で、むしろ客席から指揮者が登場したり、客席に散らばった合唱団が歌いだしたりと、空間をうまく使った生の舞台ならではの楽しみがあった。どうやら、日本公演でも同じような演出だったらしい。子どもに見せても喜びそうだ。

指揮はゲルギエフではなく、マリインスキーの若手、セルゲイ・タタルニコフ。だが「これがゲルギエフだったら」などという思いは、まったく抱かせなかった。プロフィールを見てみると、この人、もともと1999年からマリインスキーのファースト・ヴァイオリン奏者だったのだが、同時に指揮の勉強も続け、2006年にはマリインスキー劇場で指揮者デビューを果たしたらしい。だから指揮者としてはまだまだ駆け出しである。しかし、決して単純ではないと思われるプロコフィエフのオーケストレーションの面白さを十分オーケストラから引き出していて、行進曲など実にカッコ良かった。カーテンコールでも、この人が一番大きな拍手を受けていた。今後の活躍が楽しみである。日本のどっかのオケにも来てほしい。

2009年6月26日金曜日

アシュケナージの「英雄の生涯」

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調

リヒャルト・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

ウラディーミル・アシュケナージ指揮 サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団、セルゲイ・ドガジン(ヴァイオリン)

6月25日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

アシュケナージの演奏を生で聞くのは初めてだが、CDは何枚か持っているし、N響時代は何回もラジオで耳にした。正直、デュトワのころのほうが全体的には好きだったが、それでもときどきショスタコーヴィチなどで熱演を聞かせてくれたので、なんだか中途半端な形でN響をやめたのは残念だった。アシュケナージの言い分を信じると、N響の事務局の対応は、最後はずいぶんと失礼なものだったらしいが。

それはともかく、今回の演奏会、アシュケナージの好きそうなドイツプログラム。まずベートーヴェンの協奏曲だが、若手ヴァイオリニストのドガジンが上手い。挑みかかるような膝を曲げた姿勢で演奏するが、出てくる音自体はむしろ繊細で美しい。ただ第一楽章など、もう少し盛りあげる工夫があっても良かったかもしれない。ドガジンのように「美しさ」を追求するアプローチだと、第一楽章が長大なアダージョのように響き、第二楽章との区別がもう一つつきにくかったように思う。

アンコールでは、聞いたことのない超絶技巧の独奏曲を披露していた。この人、技術的には十分。

後半の「英雄の生涯」で、この街に来て初めて"レニングラード・フィル"の音を生で聞くことができたという気がした。冒頭の低弦からして、ズシリと来て、嬉しくなった。「英雄の敵」の木管のアンサンブル、ほとんど協奏曲状態の「英雄の伴侶」のヴァイオリン・ソロも見事。気のせいかもしれないが、「戦場」で、ファンファーレや小太鼓が"ショスタコーヴィチ"になってしまうのはご愛敬。 "レニングラード・フィル"時代と比べて、イマイチ評価の上がらない"ペテルブルグ・フィル"だが、まだまだ侮れない底力を秘めていることを実証。このことが嬉しい。

しかし"ペテルブルグ・フィル"からこれだけの能力を引きだしたアシュケナージの才能こそ、侮れないというべきかもしれない。ちょっと見なおした。これからも来てほしい。

2009年6月21日日曜日

宮城敬雄のチャイコフスキー

ピョートル・チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調

同上 交響曲第6番ロ短調「悲愴」

同上 組曲「くるみ割り人形」より「花のワルツ」(アンコール)

宮城敬雄指揮 サンクト・ペテルブルグ交響楽団、マリーナ・ヤコヴレヴァ(ヴァイオリン)

6月20日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

最初、プログラムを見たときは「ユキ・ミヤギ」と書いてあり、「はて、そんな女性指揮者いたかな?」と思ってしまったが、宮城敬雄(ユキオ)氏のことだった。会社社長という立場から、50歳を過ぎて夢を実現させたということで有名な宮城氏。演奏を聞くのはこれが初めて。オーケストラは「もうひとつの」サンクト・ペテルブルグ交響楽団(ムラヴィンスキーやテミルカーノフで有名なほうは、「サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団」と訳すらしい。こちらに来て初めて知った)で、オール・チャイコフスキー・プロ。どんな演奏を聞かせてくれるのだろうかと思ったが、一言で言うと非常に「まじめな演奏」。

最初はヴァイオリン協奏曲。ソリストの要求か指揮者の要求か分からないが、序奏部からしてゆっくり。オーケストラもソリストも、一音一音を丁寧に鳴らそうとする。それはいいのだが、ソリストの音程の不安定さがいささか目立ってしまう。こういうのを聞くと、2週間前に聞いた諏訪内晶子は上手かったなと思ってしまう。ただ時々、歌い方がつぼにはまる時があり、カデンツァなどは面白かった。音程も、曲が進むにつれて安定してきたように思う。

次の「悲愴」も、一音一音を生真面目なほど丁寧に鳴らしていこうとする姿勢は変わらない。チャイコフスキーを弾きなれているであろうロシアのオケから、こうした姿勢を引きだすのは案外難しいのではないか。素人くさい朴訥さはあるが、それがまた魅力でもある。指揮者がどうしたいのか、はっきりと伝わってくる。これはこれでいいのではないか…、などと考えていたら、第一楽章の中間部で金管が思いっきり他とずれて、崩壊寸前!なんとか立てなおしたものの、肝を冷やした。その後も同じ感じで演奏が進むが、第3楽章の最後が決まらず、崩壊気味。でもその直後に拍手が…。

全体の終了後も拍手喝さいで、ご丁寧にもアンコールで「花のワルツ」を演奏。こちらは気楽な感じ。「悲愴」の前からハープが用意されていたので、最初から演奏するつもりだったのだろう。

宮城氏の指揮は打点を明確に出すもので、素人の目には分かりやすい指揮に見える。一方、今月聞いてきたゲルギエフ、テミルカーノフ、ティーレマンの指揮は、必ずしもそうではない。特にティーレマンは、斜め上からその指揮姿を眺めていたが、よくあれでアンサンブルが揃うなあと思う指揮ぶりだった。もちろん、時々少し乱れるのだが、今回のように致命的になる可能性は感じられない。ブルックナーの交響曲第8番、第3楽章の頂点でシンバルが鳴るが、私がシンバル奏者でティーレマンの指揮だったら、絶対に叩きそこなうと思った。実際にはもちろん見事なシンバルが鳴ったのだが、オーケストラのアンサンブルの妙を感じた。

それ以外にも、フルトヴェングラー、カラヤン、朝比奈隆等々、有名な指揮者の「分かりにくい」例はキリがない。「良い指揮」とは一体何なのか?指揮者の役割やアンサンブルの作り方、名演の条件について、いろいろ考えさせられた演奏会だった。

2009年6月20日土曜日

ゲルギエフの「青ひげ」

アントン・ドヴォルザーク チェロ協奏曲ロ短調

ペトリス・ヴァスクス 「チェロのための本」~第2楽章Dolcissimo(アンコール)

ベラ・バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)

ワレリー・ゲルギエフ指揮 マリインスキー劇場管弦楽団

ダヴィド・ゲリンガス(チェロ)、エレーナ・ツィトコーワ(メゾ・ソプラノ)、Gabor Bretz(バス)

6月19日 マリインスキー劇場コンサートホール 19:00~

5月末にチケットを買った段階では、「青ひげ公の城」しか告知していなかった。ところがいつの間にか、ゲリンガスを迎えたドヴォルザークが追加。おかげで、すごく得した気分。

一番前で聞いていたせいもあるのだろうが、ドヴォルザークのチェロ協奏曲では、ソリストの演奏にぐんぐん引き込まれた。力強い音で、曲を引っ張っていく。最近満足できる協奏曲の生演奏に出会えなかったので、これは嬉しかった。またアンコールのヴァスクスが素晴らしかった。水を打ったような静けさの中、ゲリンガスの「歌」(この曲はチェリストが文字通り「歌う」)が響いた。録音もしているぐらいだからきっと得意の演目なのだろうが、まさしく奏者と曲、そしてホールが一体化していた。その間、誰かの携帯が鳴らなくて良かった!

一方、ゲルギエフの特長が発揮されていたのは、後半のバルトークだったと思う。とても洗練されたバルトーク。ソ連時代のロシアのオケからは考えられないような響き。もちろん、要所ではドラマチックに盛りあがる。他のバルトークの作品、特に「中国の不思議な役人」あたりもゲルギエフの指揮で聞いてみたいと思わせた。ハンガリー語はさっぱり分からないが、2人の歌手も好演。演奏会形式だったが、ツィトコーワは髪をかきむしる演技を見せていた。ゲルギエフがロンドン交響楽団を振ったCDがもうすぐ出るけど、CDではどんな演奏を聞かせてくれるのだろうか。

ゲルギエフの「エレクトラ」

リヒャルト・シュトラウス 歌劇「エレクトラ」

ワレリー・ゲルギエフ指揮 マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団ほか

6月16日 マリインスキー劇場 19:00~

これは本当に聞くのが初めての曲。インターネットであらすじだけ確認し、臨んだ。その点では「アレコ」や「イオランタ」と同じなのだが、こちらのほうがはるかに前衛的。チャイコフスキーのように、即座に耳になじむような分かりやすい旋律はない。もちろん、全編に満ちている不協和音がこの曲の魅力でもあるのだが、いきなり生で聞いてしまうと、さすがにつかみどころが分かりづらい。

しかも今回の公演では、巨大なオーケストラに圧倒されて歌手たちの声が聞きとりづらかった。最初の侍女たちの会話からして、そう。なにしろ、オーケストラピットにオーケストラが入りきらず、打楽器は両脇のボックス席に配置されていたぐらいだから。ティンパニの叩きっぷりは気持ちよかったが、普通に考えれば、歌手の声をかき消してしまうだろう。生の「エレクトラ」とはこんなものなのか、それとも歌手たちの声量不足なのか、もう少し経験を積んでみないと(と言っても、「エレクトラ」を聞く機会などそう多くはないだろうが)分からない。こういうバランスの問題は、CDだと誤魔化せてしまうし。

2009年6月14日日曜日

ゲルギエフの「パルジファル」

リヒャルト・ワーグナー 舞台神聖祝祭劇「パルジファル」(演奏会形式)

ワレリー・ゲルギエフ指揮 マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団 ヴィオレッタ・ウルマーナ、ルネ・パーペほか

6月12日 マリインスキー劇場コンサートホール 18:00~

会場に入ると、舞台上に何本ものマイク。明らかに録音用。CDにするのだろうか。

まさかよりによって、初のワーグナー全曲生体験が、「パルジファル」になるとは思わなかった。ワーグナーのオペラの中(もちろん、「さまよえるオランダ人」以降)で最もとっつきにくかったのだから。最近になって、第一幕や第三幕の後半の合唱など、聞きどころを覚えたが、「渋い作品」という印象は変わらない。ましてや演奏会形式など耐えられるだろうかと思いつつ、そう頻繁に聞けるとも思えないので、聞きに行った(そういう動機で、気楽にコンサートに行けるのがペテルブルグのいいところ)。というわけで、演奏の善し悪しが判断できるほど曲のことを知らないのだが、以下、簡単な感想。

前奏曲が始まって、「ああ、今日は帰るのが遅くなるぞ(笑)」と思った。案の定、コンサートが終わったのは午前0時近く。いつものことながら、実際の演奏が始まるのは予定時刻より20分近く遅れたし、休息時間も長かったが、それでも演奏に4時間半ほどかけたことになる。以前徐京埴の『ディアスポラ紀行』(岩波新書)を読んだとき、ワーグナーに魅せられつつも、ナチスの影がぬぐいきれないことからくる葛藤を告白していて、興味深く読んだ。その中で著者が、「パルジファル」のライヴ(指揮はサイモン・ラトル)を聞く場面がある。確か「おそらく曲がもたらす疲労感も計算に入れて、聴衆を陶酔させている」と分析されていたと思うのだが、実際に「パルジファル」を聞きながら、その記述を思いだした。ただこれが演奏会形式でなければ、もっと陶酔感は高まったかもしれない。また第一幕と第三幕に出てくる鐘が、シンセサイザーで代用されていて(意外とゲルギエフはこういう点、こだわらない)、この点は正直いささか興醒めだった(CDにする際は、どうするのだろう)。

3週間後には、「指環」全曲が待っている。「パルジファル」を聞いて「指環」を聞いて、私もワーグナー教の信者になるのだろうか。続きは「指環」の後で。

2009年6月8日月曜日

ゲルギエフによるロシアオペラ二本立て―「アレコ」と「イオランタ」

セルゲイ・ラフマニノフ 歌劇「アレコ」

ピョートル・チャイコフスキー 歌劇「イオランタ」

ワレリー・ゲルギエフ指揮 マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団

6月7日 マリインスキー劇場 19:00~

どちらも初めて聞くロシアのオペラ2本。そもそもこの二作品、(たぶん世界的に見ても)めったに上演されない。というのも、両方ともオペラとして短すぎるからだ。「アレコ」のほうは1時間、「イオランタ」のほうは1時間40分である。ただプログラムによると、この二作品を同時に取り上げたのには単に短いということ以上に、対照的な女性像を浮かび上がらせる狙いもあったらしい。

「アレコ」のあらすじは、ロマの集団で暮らすアレコという男性(彼自身はロマではない)が、前から付き合っていたロマの恋人ゼムフィーラに捨てられ、怒ってゼムフィーラとその恋人を殺してしまうというもの。いわば、「カルメン」の後半だけを取り上げたような感じ。ただしこちらのほうは、「カルメン」と違って、最後はロマたちにも捨てられる男の孤独が浮かび上がるようになっている。モスクワ音楽院の卒業作品で、なんと19歳だか20歳のときに書いたらしい。音楽は、見せ場となるアリアもちゃんと用意されているものの、後年のラフマニノフ特有の、ねっとりした濃厚なロマンティシズムはまだそれほど顔を見せていない。むしろ中間部の踊りの音楽など、グリーグの「ペール・ギュント」のように響く。ゲルギエフの指揮ですら、そうなのだ。

逆に「イオランタ」は、盲目の王女様が愛に目覚めて目が見えるようになるという話であり、「くるみ割り人形」と同時上演されることを想定して書かれたというだけあって、チャイコフスキー節満載、聴きどころのアリアも多い。序奏ではまず管楽合奏、そのあとは弦楽とハープのみのアンサンブルに移り、そこから徐々に楽器が増えていくなど、オーケストレーションも冴えている。以前ゲルギエフが振った「イオランタ」のCDが出た時、『レコード芸術』で「この素晴らしい作品が演奏されないのは、中途半端な演奏時間のためだとしか考えられない」という評が載っていたのを、今でも覚えているが(10年以上も前のことだ)、確かにそのような評価も納得である。いつか、「くるみ割り人形」と一緒に見てみたい。演奏時間だけで3時間ぐらいかかるけど、ワーグナーに比べれば大したことではない。きっとその間、チャイコフスキーのメルヘンの世界に遊べるはずだ。

「イオランタ」に比べると、さすがに「アレコ」は分が悪いが、事実上の処女作と円熟期の作品なのだから、しょうがない。むしろラフマニノフが、その後ちゃんと自分の個性を確立していったことを、評価するべきだろう。

2009年6月6日土曜日

諏訪内晶子とテミルカーノフのブラームス

ヨハネス・ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調

ピョートル・チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調

諏訪内晶子(ヴァイオリン)ユーリ・テミルカーノフ指揮 サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団

6月4日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

フィルハーモニーの大ホールはいつになく超満員。テレビカメラに加え、いくつもマイクが立っていた。ひょっとしたらCD録音でもするのだろうか。諏訪内晶子が出るせいか、日本人と思しき人たちもちらほら。

一曲目は、ブラームスのコンチェルト。席は後ろのほうだったが、諏訪内のヴァイオリンはよく聞こえた。まさかマイクで拾って、スピーカーで流していたわけでは…。協奏曲で、オーケストラに埋もれずあれだけソリストの音が聞こえるのは、珍しいと思う。とてもストレートな音で、第1楽章のカデンツァなど見事だった。ただこの組み合わせだと、どうしても要求が高くなる。先日聞いた、ティーレマンのブルックナーが凄かっただけになおさらだ。ああいう何か突き抜けたものがほしい。したがって、悪くはなかったけれど、さらに上があるのではと思ってしまった。

後半のチャイコフスキーもしかり。もはやこのコンビにとっては十八番。緩急の変化も自由自在。世界中で一番、チャイコフスキーの5番が上手いコンビかもしれない。ただ、曲が手の内に入りすぎているかもという贅沢な疑問もちょっと出てきた。

ロシア語の「魔笛」

W.A. モーツァルト 《魔笛》(ロシア語による上演)

トゥガン・ソヒエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団ほか

6月3日 マリインスキー劇場コンサートホール 19:00~

なかなか面白い演出だった。中でも特徴的だったのは、台詞の部分で打楽器による伴奏を付けたことである。それも銅鑼などの「東洋的」な響きのする楽器を多く用い、モダンというか、ちょっと不思議な空間を作り出していたことである。服飾も、日本の様々なもの(学ラン、般若、鎧兜、傘)をヒントにしたようであり、獅子舞(こちらは中国風)を模したような動物も登場して、笑えた。ちなみにこの獅子舞、動きがかなり滑らかで、見事だった。ロシア人はどのようなつもりで見たのだろう。オリエンタリズムといえばオリエンタリズムだが、こんなことで目くじらを立てるのもバカバカしいと感じる。

歌手の中では、パパゲーノ役の歌手(エフゲーニ・ウラノフ)が光っていた。演技も達者で、声もよく通る。ユーモアたっぷりで、オペラ全体の雰囲気を牽引していた。

一方、期待していたソヒエフ指揮のオーケストラは、残念ながらヴァイオリンの音が荒れ気味。仕事のしすぎだろうか?そんなこともあって、もっぱら舞台上の芝居を楽しんだ。

2009年6月5日金曜日

ティーレマンとミュンヘン・フィルのブルックナー

アントン・ブルックナー 交響曲第8番ハ短調

クリスティアン・ティーレマン指揮、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

6月1日、マリインスキー劇場コンサートホール 20:00~

5年ほど前まで、ブルックナーは意味不明な作曲家だった。なんであんな冗長な曲に、みんな熱狂できるのか、よくわからなかった。しばしば比較されるマーラーのほうが、ずっと好きだったし、マーラーのほうに親近感を覚えるという状況は、今に至るまで変わっていない。

それでもブルックナーが聞けるようになったのは、ロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルによる、ブルックナーの交響曲第8番のCDを聞いてからだ。宇野功芳の言う「身を浸す」という感覚が、ようやくわかった気がした(もっとも宇野功芳は、マゼールのブルックナーなど認めないだろうけど)。新しい言語を取得したような感覚だった。今回のコンサートは、ブルックナーを聞けるようになって初めて聞く、生のブルックナーだった。そしてティーレマンの指揮も、初めて目にした。嬉々としてブルックナーのコンサートに出かけるなど、数年前まで考えられなかったことだ。

結果は、凄かった、としか言いようがない。圧倒的なパワーを誇る金管とティンパニ、3楽章で見せた、熱いチェロ。でもうこうして並べていっても、何も表現できていないと思う。むしろ、ティーレマンの曖昧な振り方(たぶん意図的なのだろうが)のせいもあって、ところどころアンサンブルが乱れていた。録音で聴くと、そうしたミスのほうが目立ってしまうかもしれない。にもかかわらず、当日は押し寄せる音の洪水に、すっかり心が満たされてしまった。

でももしかしたら、一番忘れがたいのは、演奏終了直後かもしれないと思う。一瞬間があって拍手が始まったが、ティーレマンが固まったまま動かないので、すぐに静かになった。そしてそのまま会場全体が、静まり返ってしまった。10秒ほど経ってからだろうか、誰かが「ブラボー」と言って、それをきっかけにどっと拍手が起こったが、あの間の静粛は忘れがたい。ブルックナーの8番のラスト、轟音をとどろかせた後だけに(1時間半も演奏してきて…。一体ミュンヘン・フィルの人たちは、どれだけパワーがあるのだろう)、あの沈黙、余韻は本当に深いものがあった。あの沈黙のために、1時間半の演奏があったのかもしれないとさえ思う。

ミッコ・フランク指揮フィンランド国立歌劇場によるサッリネンのオペラ

アウリス・サッリネン オペラ「赤い線」

ミッコ・フランク指揮、フィンランド国立歌劇場管弦楽団&合唱団ほか

5月29日 マリインスキー劇場 19:00~

アウリス・サッリネンは、初めて聞く作曲家。いわゆる「現代音楽」は好きなほうだが、意外とフィンランドの作曲家は聞いていない。別に避けてきたわけでもないのだが。ちなみにミッコ・フランクを聞くのも初めて。聞いたことのない作品なので判断は難しいが、全体を問題なく統率していたと思う。

インターネットで大まかなあらすじだけ掴んで臨んだ。1907年、初の国会選挙が行われることが、背景としてある。しかし、物語全体は、結局宗教も社会主義も貧しい農民を救いはしないという、悲しい結末になっている。作曲されたのは1978年で、全体で2時間弱。
http://www.chesternovello.com/default.aspx?TabId=2432&State_3041=2&WorkId_3041=11573

音楽は、調性感のあるメロディーが主体で、ところどころ現代的なサウンドが挟み込まれる。そうした音楽を使って、貧しい人々の閉塞感を描き出している点で、ヤナーチェク(イエヌーファ)やブリテン(ピーター・グライムズ)に通じるものがあると思った。とくに印象的だったのは、第2幕で歌われる民謡調のアカペラ。ジーンときた。

といっても、何を歌っているのか漠然としかわからないというのは、やっぱり隔靴掻痒の感がある。歌唱はフィンランド語で、当日はロシア語の字幕が出ていたが、残念ながらロシア語の字幕を追えるほどの語学力はない。CDでもう一度聞きなおしてみたいが、以前出ていた唯一のCDは、すでに廃盤らしい。