2009年11月15日日曜日

アファナシエフのショパン

フレデリック・ショパン:ワルツ 作品34の2、69の1、64の1、70の2、69の2、64の2
同上:ポロネーズ 作品26の1、26の2、40の1,40の2

ワレリー・アファナシエフ(ピアノ)

11月15日 フィルハーモニー大ホール 19:00~


もともと近代オーケストラの色彩感にあこがれてクラシックの世界に入った私にとって、ショパンはいまだに縁遠い作曲家である。ファンが多いのは頭では理解できるが、あまり積極的に聞こうという気になれない。たまに、ピアノ協奏曲第1番を聞く程度である。この曲に関しては、どうしようもなくショボイオーケストラをしり目にピアノが1人威張りちらしているのが、なんだかおかしくて面白い。

つまり今日のコンサートに行ったのは、アファナシエフが聞きたかったから。と言っても、アファナシエフのファンというわけでもなく、むしろ極遅テンポで変な解釈を披露する「変態ピアニスト」というイメージだった。ただラジオやCDも含めて一度もまともに聞いたことがないので、食わず嫌いになる前に生で一度ぐらい聞いておいてもいいだろうという、軽い気持ちからに過ぎない。だからチケットも一番安い100ルーブル。良し悪しは別として、なんかやってくれるのではないかという期待があった。

私が今まで聞いたピアニストの中で一番面喰ったのは、高橋悠治。2005年の春、札幌でバッハのイタリア協奏曲とゴールドベルク変奏曲を演奏してくれたが、いずれも馴染んでいたグールドの演奏とは似ても似つかない解釈で(歌い方が全然違う!)、聞いている間ずっと「?」が頭の中を駆けめぐっていた。そもそも舞台に出てきたときから、ピアニストというよりひょうひょうとした近所のおっちゃんという感じで、それも「!?」。でもアンコールで弾いたサティは、会場の空気が一変するぐらいとても良かった。

それに比べればアファナシエフはずっとまとも(当り前か…)。ショパンのワルツもポロネーズもきちんと聞いたことがないので、その分、彼の解釈に違和感を覚えなかったというのもあるだろう。テンポは(たぶん)遅めだし、躍動感もあまり感じない。でもリズム感を完全に殺してしまっているわけではない。むしろリズム自体は、しっかりと生かしている。

ただアファナシエフのショパンは、ずいぶんと内省的である。小説に例えると、登場人物の心理的駆けひきや独白が続くような物語。あるいは全体を覆う不安感や焦燥感は、晩年のシューベルト(シューベルトもそれほど聞いているわけではないが)に通じるものがあると言えるかもしれない。これがショパンの「本質」なのか、それともアファナシエフが自分の色にショパンを染めてしまった結果なのか、ショパンをほとんど聞いていない私にはは分からない。でもショパンにそれほど思い入れのない私には、これはこれで面白かった。

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