2010年10月31日日曜日

ソヒエフの凱旋

  1. クロード・ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
  2. ジャック・イベール:フルート協奏曲
  3. エクトル・ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
トゥガン・ソヒエフ指揮、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、エマニュエル・パユ(フルート)
10月31日 マリインスキー・コンサートホール 19:00~

今注目のソヒエフは、これまでも何度かマリインスキーで聞いているが、今一つピンとこなかった。でもプラッソンでブレイクしたトゥールーズのオケとなら、いい結果を出すかもと思って、ちょっと期待しつつ出かけた演奏会。

もちろんこの演奏会は、ソヒエフだけでなくパユも目玉。イベールの協奏曲はそんなに詳しく知っているわけではないけど、パユの圧倒的な技巧には感服。一音一音の安定感、存在感が他のフルート奏者とは違う、という感じ。

では気になっていたソヒエフはどうかというと、この人にこれから期待していいのかどうか、やっぱりよく分からんというのが正直な感想。

ソヒエフってこんなにきっちり振る人だっけ、と思ったぐらい、今日はきちんと拍を出す見やすい指揮だった。オーケストラが熟知しているであろうフランス・プロにも関わらず。丁寧に振っていた理由の一つは、細かくテンポを動かしたかったからで、特に幻想の第1楽章などかなり大胆な設定。でもオーケストラのほうも、乱れることなくついてくる。マリインスキーの時より、きっちりリハーサルしているのは明らかで、その点は好感をもったのだが、なぜか演奏を聞いていて今一つ興に乗れない。牧神にしろ幻想にしろ、何やらモノクロームな感じで、物語性もエスプリも感じられない。曲の構造は、きっちり浮かびあがってくるけど。よりによってフランスのオケを振って、なんでこんな演奏をするのだろう。しかし1回聞いただけでは分からないけれど、CDで繰り返し聞けば、ソヒエフの面白さが分かるかもしれない。そう思いながら、聞いていた。

文句なしによかったのはアンコールの「カルメン」前奏曲。最初、ドヴォルザークのスラブ舞曲第1番ハ長調をやった後、「カルメン」をやったが、ここには間違いなくさっきはなかった華があった。今から幕が開く!!という愉しさに満ちた演奏。ソヒエフはマリインスキーで何度も「カルメン」を振っているので、この曲は完全に手の内に入っているはずだが、もっとこういう演奏をしてくれたらなあと思う。その後もう1曲、オペラの間奏曲のような、知らない曲をやっていたけど、それも良かった。

しかし今日のフルートの首席はやりづらかっただろうな。牧神の時は、この後にパユが出てくるということを意識せざるをえなかっただろうし、幻想の時はパユが客席に座って聞いていたし。

2010年10月26日火曜日

初ミハイロフスキー劇場~アレヴィの「ユダヤの女」

  • ジャック・アレヴィ:歌劇「ユダヤの女」
ペーテル・フェラネツ指揮、ミハイロフスキー劇場管弦楽団&合唱団ほか
10月26日 ミハイロフスキー劇場 19:00~

昨夜、日本から持ってきたプルーストの『失われた時を求めて』(鈴木道彦訳)の第1巻を読んでいたら、アレヴィの「ユダヤの女」のことが出てきた。そういえばこのオペラ、最近ミハイロフスキー劇場でやってるよなと思って調べてみたら、今日やることになっている。チケットもまだ十分余っているみたいだし、足を運ぶことに。実を言うと、1年半以上この街に過ごして、ミハイロフスキー劇場で音楽を聴くのは初めて(映画祭の時に、建物のなかに入ったことはある)。

ストーリーについては、グーグルで検索してもらえればすぐに出てくるのでここには書かないけれど、悲劇的な復讐劇。たぶん20世紀の作曲家(シェーンベルクとかショスタコーヴィチとかブリテンとか)ならば、不協和音を駆使して問題提起的なオペラに仕上げるのだろうけど、そこは19世紀前半のフランス。むしろ耳になじみやすいアリアや合唱満載の、典型的な「オペラ」になっている。ちなみに序曲が終わるとすぐに、オルガンのソロとともに祈りの合唱が流れるが、これってワーグナーの「マイスタージンガー」そっくり。もしかしてワーグナーは、ここからアイディアを頂戴したのかと思ったぐらい。

プルーストが言及しているぐらいだから、100年位前まではヨーロッパで広く受け入れられていた作品なのだろうけど、その後の100年間はさっぱり。しかし4年前にはDVDも出て話題になったし、こうしてロシアでも上演されているところを見ると、リバイバルの兆しがあるのだろうか。

演出は設定を少し変えていて、舞台は1930年代ヨーロッパの架空の国ということになっている。あからさまにナチスを想起させる人たちが出てきたりして、なんで1930年代なのか、意図は明白。衣装は豪華で、このように演出はそれなりに凝っているものの、どこか学芸会的な雰囲気が漂う。たぶんそれは演奏のせいで、特にオケが、何でこんな乾いた音しか出せないのかと思うくらい、音楽が盛り上がらない。だが聞いているうちに、ここのホール自体に問題があるのではないかという気もしてきた。少なくとも桟敷席で聞く限り、音の残響がほとんど感じられない。この体育館的音響が、学芸会の雰囲気を醸し出していたのではないか。マリインスキーで聞けば、もっとちょっとマシに聞こえた可能性はある。

実を言うと今日は疲れていたし、長丁場(休憩時間も含めて4時間近く)ということもあり、第3幕が終わった時点で劇場を後にした。

2010年10月19日火曜日

今度はメンデルスゾーンの「パウロ」

  • フェリックス・メンデルスゾーン:オラトリオ「パウロ」
ドミートリ・ズボフ指揮、サンクトペテルブルグ交響楽団、Kantorei der Schlosskirche Weilburg, ドリス・ハーゲル(ソプラノ)、マンフレッド・ビトナー(バス)ほか
10月17日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

こないだマリインスキーでメンデルスゾーンの「エリア」(ちなみにロシア語だと「イリヤ」になる)が演奏されたばかりだが、今度はフィルハーモニーで同じメンデルスゾーンの「パウロ」(ロシア語だと「パーヴェル」)が演奏された。まるで示しあわせたようだ。

3年か4年ぐらい前に、演奏者は誰だか忘れたが、NHK-FMでたまたま「パウロ」を耳にして、「何だドラマチックないい曲じゃないか」と思った。それ以来、「メンデルスゾーン=苦労知らずの金持ちの作曲家=いやな奴」というイメージも見なおすようになった。

わざわざドイツから合唱団とソリストが来ていたが、一番良かったのは、合唱団の指導者でもあり、ソプラノ歌手でもあるハーゲル。外見からしてそろそろいい年ではないかと思うが、とても澄んだよく通る声で、最後まで無理なく歌っていた。パウロを歌ったビトナーも落ちついたいい声だと思う。

問題はいつもの通り(?)、オーケストラ。明らかにリハーサルが足りていない。フィルハーモニーの第二オケだが、特に弦楽器の音程が怪しすぎ。このオーケストラがドイツから来た合唱団の前に立ちふさがるような格好に。合唱団はハーゲルの指揮でCDを出しているぐらいだから、さすがに慣れていたが。

今度は、もっと高い水準の演奏で聞きたい。

2010年10月15日金曜日

シューベルトと新ウィーン楽派

  1. フランツ・シューベルト(アントン・ウェーベルン編):ドイツ舞曲集
  2. アルバン・ベルク:ヴァイオリン協奏曲
  3. フランツ・シューベルト:交響曲第9番ハ長調(グレート)
ニコライ・アレクセーエフ指揮、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団、アリョーナ・バーエヴァ(ヴァイオリン)
10月15日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

シューベルトと新ウィーン楽派を組みあわせた意欲的なプログラム。こういうの好きだ。でもロシアのオケって、実はあまりドイツものが得意ではないという認識があるのだが。

一曲目のウェーベルンの編曲によるシューベルトは、「音楽の捧げもの」ほどではないにしろ、やっぱり変わった編曲だと思う。あえて盛り上がるのを避けているような。

お次のベルクは、ソリストのバーエヴァに期待したのだが、今回は不発気味。でもその主な原因は、オーケストラにあるような気がする。とにかくオーケストラが鳴らない。音に自信が感じられないのは、こないだの「大地の歌」と一緒だが、今日のはオーケストレーションがより複雑なだけに、オーケストラが「なんでここでこの音を出さなきゃいけないの?」と戸惑っているのが、よりはっきり分かる。これでは、ソリストもやりにくいだろう。アレクセーエフはいつになくきっちり振っていたが、逆に言うと、それだけきっちり振らないと、オーケストラが崩壊してしまうということだと感じた。

メインのシューベルトは、ベルクとは全く違った意味で難しい曲だ。この曲、「天国的な長さ」がすぐに「天国的な退屈さ」になってしまう。ロシアのオケって、こういう曲が苦手なのだよなあと思っていたが、意外と聞けた。メロディーの歌い方やリズムの活かし方など、部分的にはとてもいい。オッと思わせる瞬間が何度かあった。ただしそれが長続きしない。そこが問題。もちろんそれは、曲自体の問題でもあるのだが。

たぶんベルクのようなタイプの曲は、マリインスキーのほうが上手いだろう。でもシューベルトは、フィルハーモニーのほうがいいような気がする。

2010年10月11日月曜日

レザール・フロリサン in St. Petersburg

  1. マルカントワーヌ・シャルパンティエ:田園劇「アクテオン」
  2. ヘンリー・パーセル:歌劇「ディドとエネアス」
ウィリアム・クリスティ指揮、レザール・フロリサン
10月10日 マリインスキー・コンサートホール 20:00~

本当に素敵な、可憐な演奏、そして音楽。ロシアではなかなかこういうコンサートに出会えないだけに、なおのこと貴重。いや~本当に来て良かった。

特にシャルパンティエは絶品だった。曲の個性と演奏者の個性がピタリと一致して、愉しいことこの上ない。ルノワールは、「人生とはうんざりするものだから、芸術作品はそれとは別の、愛らしく美しく愉しいものでなくてはならない」という趣旨のことを述べたらしいが、シャルパンティエの作品は、その言葉を思い出させる。お話自体は悲しいものだが、音楽は浮世の疲れを癒し、生きる喜びを与えてくれるものだった。

それに対して、パーセルの作品はもう少し翳りのあるものだけに、少し演奏者と作品の間に距離があるのを感じた。それでも、高水準の演奏だったことには間違いない。

演奏形態は、オペラとコンサートの中間のような形で、舞台の中央にオーケストラが位置し、その周りを歌手たちが動き回るというものだった。特に目立った舞台装置はなし。それでも、想像力を十分駆り立ててくれた。

クリスティの名前もレザール・フロリサンの名前も、ロシアでそれほど有名だとは思えないのに、会場は満員。臨時の席を追加していたほど。最後は熱狂的な拍手が延々と続いて、何度も舞台に呼び出されていた。やっぱりこの街には、熱狂的な古楽好きが一定数いるらしい。

2010年10月7日木曜日

スナイダー、「エリア」を振る

  • フェリックス・メンデルスゾーン:オラトリオ「エリア」
ニコライ・スナイダー指揮、マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団、ワジム・クラヴェツ(バス)、アナスタシア・カラギナ(ソプラノ)ほか
10月6日 マリインスキー・コンサートホール 19:00~

日本語のウィキペディアを見ると、メンデルスゾーンの「エリア」について「メンデルスゾーンの代表作であり、のみならずオラトリオ全体の中でも最も著名な作品の一つである」と書いているが、実際には彼の他の代表作、「スコットランド」、「イタリア」、「真夏の夜の夢」、ヴァイオリン協奏曲(メン・コンというあだ名まである)などに比べると、知名度で圧倒的に劣るのではないだろうか。今回足を運んだのも、単純に聞くチャンスが少ないと思ったからである。少なくとも、日本のコンサートのチラシで「エリア」の名前を見たことはない(ただし私は首都圏に住んだことがないので、首都圏に住んでいれば話は違うかもしれない)。

スナイダーの指揮については、金曜日の演奏会で少し未熟さを指摘した。今回はオケは小編成になるが、代わりに合唱と独唱が加わる。それに、ひょっとしたらマリインスキーのオケはこの曲を初めて弾く可能性がある。弾いたことがあるとしても、だいぶ前だろう。そもそもメンデルスゾーン自体、あまり取りあげない。したがって、また練習不足の演奏を聞かされるのではないかと不安に思っていたが、意外にも金曜日より出来が良かった。

確かに合唱は荒い部分があるし(特にソプラノ・パート)、独唱者もまだ歌を体得しているとは言えない(その中ではカラギナがかなりマシだった。この人、いろんなコンサートで見かける。ものすごくいいというわけではないが、大きな不満も感じさせない。安定した歌い手だと思う)。しかし全体的には、かなりテンションが高めの名演だった。そう、メンデルスゾーンはこういう劇的な大曲も書ける人なのだ。

スナイダーの指揮は、確かにまだ表層的な部分があるものの、意外にもマーラーの時より自分の意志をオケに浸透させている。この人、もしかしたら将来指揮者として化けるのではないか。今日の演奏はそんな期待を抱かせてくれた。

2010年10月5日火曜日

アルブレヒトの「大地の歌」

  • グスタフ・マーラー:交響曲「大地の歌」
ゲルト・アルブレヒト指揮、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団、アリギルダス・ヤヌタス(テノール)、オレシャ・ペトロヴァ(メゾ・ソプラノ)
10月5日 フィルハーモニー大ホール 19:00~


これで10番の全曲版を除き、マーラーの交響曲は全部生で聞いたことになる。だからって、自慢してもしょうがないのだけど。ペテルブルグ滞在中に、たまたまマリインスキーとフィルハーモニーの両方で、マーラーチクルスをやってくれたのが良かった。しかしそんなにロシア人は、マーラーが好きなのか?

と言うのも、今日の演奏を聞きながら、オーケストラがマーラーの語法に慣れていないのではないかという思いを抱いたからだ。出だしのホルンからして、なんだか思いっきりが悪い。その吹っ切れなさは、最後までついて回った。オーケストラが始終手探りで音を出しているという状態なのだ。その意味では、6月に聞いたテミルカーノフの4番と似た印象なのだが、曲がより複雑なせいか、今日の演奏はより「ノリが悪い」と言う気がした。

もしかしたら、指揮者のアルブレヒトの責任かもしれない。この人、ドイツ音楽全般に精通しているはずだが、今まで演奏を聞いたことがなかったので、いかんとも判断しがたい。振っている姿がちょっと元気のないように感じたけど、大丈夫だろうか。

2010年10月3日日曜日

マリインスキーの「イーゴリ公」

  • アレクサンドル・ボロディン:歌劇「イーゴリ公」
ボリス・グルジン指揮、マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団ほか
10月3日 マリインスキー劇場 11:30~


実は初めて好きになったクラシック音楽が、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」の中の「だったん人の踊り」である。小学4年生の頃、母が居間でかけていたCD(カラヤン&ベルリン・フィルの演奏)を横で聞いていて、「何かこの曲いいなあ」と思った。以来、思い出の一曲になっている。

マリインスキー劇場では定期的に「イーゴリ公」を取りあげるので、慌てて聞きにいかなくてもいいだろうと呑気に構えていたのだが、徐々に帰国の日が近づいてきつつある。日曜の昼間というのは個人的に好都合なので、この日を選んだ。他の人にってもそうなのか、会場はほぼ満席。

演奏のほうはというと、イマイチ冴えなかった。序曲とか「だったん人の踊り」とか、弾けているのかどうか怪しい個所が結構あった。でも、日本では簡単に全曲聞けないので、とりあえず聞いておいて良かったと思う。

以前、やはりマリインスキーの「イーゴリ公」を見にいった日本の友人が「なんで主役のイーゴリ公があんなにしょぼいんだ」と苦笑していたが、全く同じ感想を持った。マリインスキーの「イーゴリ公」の構成は、ウィキペディアなどで紹介されているのとは違って、プロローグの後、序曲が演奏され、その直後に第2幕が来る。休息をはさんで、第3幕、1幕、4幕の順に演奏される。したがって、プロローグで出陣したイーゴリ公が、序曲が終わるともう捕虜になっているので、余計しょぼさが強調されてしまう。対するコンチャーク汗は、イーゴリ公に向かって「君は捕虜じゃない。客人なんだよ」と余裕の表情(?)で言う。どう考えても、コンチャーク汗のほうが立派。イーゴリの息子ウラジーミルは、コンチャーク汗の娘と恋に落ちて父を捨てるし、イーゴリの留守を預かるはずのウラジーミル(イーゴリの義兄)は放蕩三昧。結局、イーゴリは最後までコンチャークに勝てない。

音楽的に見ても、ポロヴェツ人(だったん人)の陣営の場面のほうが有名な「だったん人の踊り」や「だったの娘たちの踊り」を始め、イーゴリの息子とコンチャーク汗の娘の二重唱など、充実している気がする。

これがロシアの国民的な英雄譚?まあ、こういう苦しい状況の中でも祖国への愛を忘れないイーゴリこそ、真の愛国者ということになるのかもしれないが。そういえば、ムソルグスキーの2つのオペラも悲劇的な終わりかただし、19世紀のロシアの愛国心って屈折しているなあと思う。

<余談>
プロローグの日蝕の場面で、金管にベートーヴェンの「運命」によく似た三連符のモチーフが現れる。あれって、やっぱりわざと真似ているのだろうか?

2010年10月1日金曜日

スナイダーのマーラー

  1. ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調 作品15
  2. グスタフ・マーラー:交響曲第1番ニ長調「巨人」
ニコライ・スナイダー指揮、マリインスキー劇場管弦楽団、サリム・アブド・アシュカル(ピアノ)
10月1日 マリインスキー・コンサートホール 19:00~

昨年11月にも、同じ顔ぶれの演奏会があった。前半がベートーヴェンのピアノ協奏曲というのまで一緒。後半も、前回はブルックナーだったのに対し、今回はマーラーと、プログラムの組み方が似ている。スナイダーは、6日にはメンデルスゾーンの「エリヤ」を振る予定で、実は大規模な作品が好きと見える。

マーラーの1番は、小学6年生の時に初めて耳にして以来、定期的に聞いてきた思いいれのある曲。にもかかわらず、なぜか今まで生で接する機会がなかった。他のマーラーの番号付きの交響曲は、すべて生で聞いているのに。一番ポピュラーな曲のはずなのに不思議。今回、念願かなってやっと聞くことができた。

ただ演奏のほうは、どう評価すればいいのか…。まず、ベートーヴェン、マーラーとも、きちんとリハーサルをした跡が窺え、その点は好感が持てた。マリインスキーのオケは、明らかに練習不足の時も多いのでなおさら。メンバーはゲルギエフが振る時によく見る顔ぶれで、技術的には問題なし。しかし、その結果出てきた音が、指揮者の情感を表現しきれているかというと疑問。特に今回は、ベートーヴェンにしろマーラーにしろ若書きの作品なので、もっとはじけるようなエネルギーが欲しい。

スナイダーはまだおそらく、オーケストラをヴァイオリンのように操れてないという気がした。聞いていて、スナイダーがどのような音楽づくりをしたいのか「理解」はできるのだが、直接こちらの情と結びつかない。アンサンブルを整えることはできても(バトンテクニックは、怪しいところがあるが)、そこに自分の「意志」を吹きこめるようになるには、もっと経験を積む必要があるのだろうと思う。それが簡単にできれば、苦労はしないのだが。