- アレクサンドル・ボロディン:歌劇「イーゴリ公」
10月3日 マリインスキー劇場 11:30~
実は初めて好きになったクラシック音楽が、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」の中の「だったん人の踊り」である。小学4年生の頃、母が居間でかけていたCD(カラヤン&ベルリン・フィルの演奏)を横で聞いていて、「何かこの曲いいなあ」と思った。以来、思い出の一曲になっている。
マリインスキー劇場では定期的に「イーゴリ公」を取りあげるので、慌てて聞きにいかなくてもいいだろうと呑気に構えていたのだが、徐々に帰国の日が近づいてきつつある。日曜の昼間というのは個人的に好都合なので、この日を選んだ。他の人にってもそうなのか、会場はほぼ満席。
演奏のほうはというと、イマイチ冴えなかった。序曲とか「だったん人の踊り」とか、弾けているのかどうか怪しい個所が結構あった。でも、日本では簡単に全曲聞けないので、とりあえず聞いておいて良かったと思う。
以前、やはりマリインスキーの「イーゴリ公」を見にいった日本の友人が「なんで主役のイーゴリ公があんなにしょぼいんだ」と苦笑していたが、全く同じ感想を持った。マリインスキーの「イーゴリ公」の構成は、ウィキペディアなどで紹介されているのとは違って、プロローグの後、序曲が演奏され、その直後に第2幕が来る。休息をはさんで、第3幕、1幕、4幕の順に演奏される。したがって、プロローグで出陣したイーゴリ公が、序曲が終わるともう捕虜になっているので、余計しょぼさが強調されてしまう。対するコンチャーク汗は、イーゴリ公に向かって「君は捕虜じゃない。客人なんだよ」と余裕の表情(?)で言う。どう考えても、コンチャーク汗のほうが立派。イーゴリの息子ウラジーミルは、コンチャーク汗の娘と恋に落ちて父を捨てるし、イーゴリの留守を預かるはずのウラジーミル(イーゴリの義兄)は放蕩三昧。結局、イーゴリは最後までコンチャークに勝てない。
音楽的に見ても、ポロヴェツ人(だったん人)の陣営の場面のほうが有名な「だったん人の踊り」や「だったの娘たちの踊り」を始め、イーゴリの息子とコンチャーク汗の娘の二重唱など、充実している気がする。
これがロシアの国民的な英雄譚?まあ、こういう苦しい状況の中でも祖国への愛を忘れないイーゴリこそ、真の愛国者ということになるのかもしれないが。そういえば、ムソルグスキーの2つのオペラも悲劇的な終わりかただし、19世紀のロシアの愛国心って屈折しているなあと思う。
<余談>
プロローグの日蝕の場面で、金管にベートーヴェンの「運命」によく似た三連符のモチーフが現れる。あれって、やっぱりわざと真似ているのだろうか?
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