- 伊東信宏『中東欧音楽の回路:ロマ・クレズマー・20世紀の前衛』(岩波書店、2009年)
もちろん、箸にも棒にもかからないというわけではなく、いわゆる「クラヲタ」の一人としては、ストラヴィンスキーの「結婚」の歌詞の分析(第2章)であるとか、バルトークの「オーケストラのための協奏曲」第5楽章のトランペットは、豚飼いの角笛を模したものではないかという指摘(終章)とかは、面白い。コパチンスカヤとその旦那の話(コラム「L氏の横顔」)にはビックリ仰天。また第4章においてなされる、なぜ従来の民族(民俗)音楽研究が、ロマのブラスバンドを研究対象として十分捉えられなかったかという考察は、門外漢から見ても非常に興味深い。
ただ読みおわって、何か新しい音楽観が得られたかというと、実のところ、あまりない。著者が「序」で述べるところによれば、著者は「世界音楽システム」の根幹が中東欧の楽師にあるのではないかと考えており、ただしこの本の目標はそれを「実証」するのではなく、「一種の発見的祖型として措定し、そこから何が見えてくるか、ということを示すことにある」という。具体的に何が見えてくるかというと、一つは「クラシック/ジャズ/ポピュラー音楽といったジャンルの枠を超えること」。もう一つは「ヨーロッパ/極東を完全に隔絶したものとしてではなく、ひとつの連なりのなかに見る、という可能性」。
しかしこうした視点がどれだけ魅力的か、あるいは著者が実際にどの程度示せているかという点は疑問。まず前者の「ジャンルを超える」という点に関しては、10年前からユリ・ケインのマーラーを聞いている身にとっては、それほど斬新な印象は受けない。別に、マーラーをベースにクラシック/ジャズ/クレズマー音楽の融合という、前代未聞の演奏をしたユリ・ケインを持ちださずとも、「ジャンルを超える」という話は最近よく聞く話で(実はちょっと食傷気味なほど)、これが音楽学の世界でどの程度「新しい」問題提起なのか、よく分からない。また本論の中で、ジャンルを脱構築するための深い考察がなされているとも思わない。
後者については、「序」で、満洲を経由した日本の西洋音楽需要とクレズマー音楽の関連が示唆されるだけで、本論の中には全く出てこない。たぶんこの点については、今後考察を進めるのだろうが。またこうしたクレズマーと日本の関連が、ともすれば安易な商業主義に利用される危険性があることは、注意しておくべきだろう(たぶん著者は、その程度のことは分かっていると思うけど)。
サントリー学芸賞受賞と聞いて、いささかきつい評価を下してしまったかもしれない。案外、著者も軽い気持ちで出した本が、思いもよらず有名な賞を受賞してしまった…とか。でもいくらユニークなCD付きとはいえ、3000円はちょっと高いような気が。特に興味のある人以外は、図書館で借りるだけで十分だという気がする。