2011年2月25日金曜日

ヘルゲ・リエン・トリオ in St. Petersburg

2月23日 エルミタージュ劇場 19:00~

毎年この季節にやっている音楽エルミタージュという音楽祭の一環。この日ロシアは休日(祖国防衛の日)だったし、ノルウェーのジャズというので足を運んだ。ノルウェーのジャズ、好きなのだ。でもヘルゲ・リエンという名前は、実は初めて聞いた。

演奏は「まずまず」というところか。決して低い水準ではないが、ロシアにもノルウェーにもお気に入りのミュージシャンが結構いるので、「ものすごくよかった」というところまでは行かなかった。ただし、アンコールで弾いたテイク・ファイブは、聞きなれたメロディーが新鮮に響く見事なアレンジであり演奏だった。このことは特筆しておきたい。

でもここで書き留めておきたいのは、もうちょっと別のこと。最後の曲を演奏する前に、新譜の「Natsukashii」というアルバムからですが、と言って、「懐かしい」という言葉の解説をリーダーのリエンが始めた。「ナツカシイというのは日本語ですが、該当する英語がありません」と言われて、ちょっと驚いた。そういえば、確かにいい英単語が思いつかない。家に帰って、電子辞書(プログレッシブ和英辞典)で調べてみたら dear と出てきた。例文ではこのほか、familiar, homesick, long for 等いろんな単語が使われている。

じゃあロシア語はどうだろうと思って、研究社の和露辞典を引いてみると дорогой, милый。確かに、英語にもロシア語にもしっくりくる単語がないかも。ちょっとした発見だった。中国語とかはどうなのだろう。

もう一点。会場で「To The Little Radio」という彼らのアルバムを買った。買った理由は、日本語の帯がついていたから(笑)。ロシアで日本のCDを買うことになるとは。しかも日本より安いし(日本では2625円。こちらでは500ルーブル)。これ、ディスク・ユニオンが作ったアルバムだが、海外盤は出ていないということなのだろうか。ライナーノーツも、日本語だけ。

家に帰って最初聞いた時は、会場で聞いたアグレッシブな演奏と対照的な静かな曲ばかりだったので、物足りなく感じたが、改めて聞きなおしてみると、一本筋の通った緊張感にアルバム全体が貫かれていて、案外いいかもと思いなおした。特に6曲目の Penelope と最後の To The Little Radio が気にいった。

さて、このアルバムのタイトルにもなっている「小さなラジオに」だが、もとはクラシックの作曲家ハンス・アイスラーの作った歌曲である。どこかで聞いた名前だと思ってインターネットで調べてみたら、分かった。岡田暁生著『音楽の聞き方』(中公新書)で触れられていたのだ。あの本にはいろいろ言いたいことがあるのだけど、それはさておき、まさかこんなところで出会うことになるとは。リエンのアレンジで聞くと、より悲しみに満ちた美しいメロディーに聞こえる。


2011年2月23日水曜日

ショパン・コンクール入賞者のコンサート(3)~ルーカス・ゲニューシャス

  1. フレデリック・ショパン:24の練習曲 作品10と作品25
  2. フランツ・リスト:ピアノ・ソナタロ短調
ルーカス・ゲニューシャス(ピアノ)
2月22日 マリインスキー・コンサートホール 19:00~

まあ何と挑戦的なプログラムだろうと思った。前半でショパンの練習曲を24曲すべて弾き、後半でリストのソナタを弾くとは。と言っても正直に告白すると、「別れの曲」だとか「革命」だとか有名なやつをのぞいて、練習曲集もソナタもまともに聞いたことがないのである、私は。オタクって部分部分は専門家も顔負けの知識を持っているが、知識の偏り方がはなはだしい。

でもとりあえず行ったコンサートの感想を一通り書き留めておくという義務を自分に課しているので、思ったところを書いておくと、意外と演奏は地味。もっと「どうだ、オレって上手いだろう!!」というハデハデな演奏をするかと警戒/期待していたのだが、杞憂/不発だった。「別れの曲」なんてもっと情緒たっぷり、「革命」なんてもっと劇的にやってもよさそうなのに、割と淡白。他人がつけた標題をはぎ取り、あくまでも「練習曲」として弾く。だが演奏は徐々に熱を帯びてきて、最後のほうの数曲は確かにのっているのが分かった。

リストも同傾向の演奏だったような気がするが、初めて聞く曲でしかも30分ぶっ続けの大作なので、何ともいいがたい。特に大きな不満はなくて、リストのソナタってまた聞いてみたいと思った、という程度。曲を熟知している人ならば、いろいろな感想が浮かぶだろうけど。

むしろ印象に残っているのは、彼が舞台に姿を現した時の様子で、まるで気負ったところがなく、オーラもなく、まるで普通の若者。街を歩いている普通のお兄ちゃんが、コンサートホールにさ迷いこんでしまったという感じだった。その飄々とした雰囲気が面白い。

2011年2月18日金曜日

テツラフとフォークトのデュオ

  1. ロベルト・シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ短調 作品121
  2. ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタイ長調 K. 526
  3. ベラ・バルトーク:ヴァイオリン・ソナタ第1番
クリスチアン・テツラフ(ヴァイオリン)、ラルス・フォークト(ピアノ)
2月17日 マリインスキー・コンサートホール 19:00~

ギリギリまで行こうかどうしようか迷ったコンサート。昼間の疲れから、寝てしまうのは分かっている。でも高くても800ルーブルというチケットには惹かれるなあ(関西人のせいか、すぐに損得勘定をする)。結局、図書館で仕事を終えたのが6時前で、ちょうどいい時刻だったので、マリインスキーに向かってしまった。

240ルーブルという、一番安いチケットを購入。どうせ席がだいぶ空いているのは分かっていたので、開演直前にпартер(一階席)に移動。こちらではよく使う手。ロシアではこういうことをやってもいいどころか、むしろ奨励される。職員が、空いているいい席に移動するように促すのだ。

案の定、シューマンとモーツァルトは半分ほど寝てしまった。一方、バルトークは興奮して身を乗り出して聞いてしまった。もちろんそれだけバルトークが熱演だったということだが、前半の演奏が劣っていたわけではなくて、私の曲に対する好みの問題だと思う。なんだかんだいって、自分がシューマンやモーツァルトよりバルトークのほうが好きなことを実感。中学生のころから、なぜバルトークが「難しい音楽」の代表的な作曲家とされているのか、まるで理解できなかった。私にとっては、シューマンやモーツァルトよりもずっと親しみやすい作曲家だったのだ。

以前、ゴンチチがDJを務める「世界の快適音楽セレクション」というNHK-FMの番組で、音楽評論家の渡辺亨氏が、バルトークはむしろロックのような感覚で聞いてみるのがいいのではないかと言って、その例として弦楽四重奏曲の第4番を挙げていたような記憶があるが、ヴァイオリン・ソナタの第1番も、同じように聞くのがいいと思う。そのことを実感させてくれた演奏だった。

2011年2月15日火曜日

ショパン・コンクール入賞者のコンサート(2)~ユリアンナ・アヴデーエワ

  1. フレデリック・ショパン:スケルツォ第3番嬰ハ短調 作品39
  2. 同上:2つの夜想曲 作品27(第1番嬰ハ短調、第2番変ニ長調)
  3. 同上:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調 作品35
  4. 同上:4つのマズルカ 作品30(第1番ハ短調、第2番ロ短調、第3番変ニ長調、第4番嬰ハ短調)
  5. 同上:スケルツォ第4番ホ長調 作品54
  6. 夜想曲ロ長調 作品62-1
  7. 幻想ポロネーズ変イ長調 作品61
ユリアンナ・アヴデーエア(ピアノ)
2月15日 マリインスキーコンサートホール 19:00~

最初のうち「なんでこの人がショパン・コンクールで1位を取ったのだろう?」と疑問に思いながら聞いていた。技巧的な華やかさでは、先日聞いたトリフォノフのほうが上。彼のほうがピアノをよく鳴らしていたし、タッチも柔らかく、色彩感も豊か。

が、聞いているうちに何やらじわじわと彼女の紡ぐショパンのメロディが体に染みてきた。演奏には常に陰りがあって、長調の曲も短調に聞こえる。寂しく、不安なショパン。外見は地味なため、ともすれば一本調子な気もするが、でも何やら抗しがたい魅力がある。その意味でも、先日のトリフォノフとは対照的。あの時はなかった「暗いもの」が今日はあった。

たぶんアヴデーエアの演奏は、好き嫌いがはっきり分かれるだろう。もっと華やかなショパンを楽しみたい人、気軽にショパンを聞きたい人はいっぱいいるだろうし、そんな人に彼女の演奏は向かないかもしれない。でも好きな人はものすごく喜ぶと思う。

家でこのブログを書きながら、プログラムが調性的にもよく考えられていることが分かった。嬰ハ短調のスケルツォから同じ調の夜想曲に飛んで、2番の変ニ長調とソナタのロ短調は同じフラット5つ。その後休息ははさんで、マズルカを4つ演奏したが、マズルカ第4番の嬰ハ短調とスケルツォのホ長調は同じシャープ4つ。続いてシャープが1つ増えたロ長調の夜想曲。最後の変イ長調は一見遠そうだけれども、シャープ5つをひっくり返してフラット7つにすれば変イ短調になるから、これもつながっている。

さすがに1位だけあって、今日の会場はほぼ満員。しかもマリインスキーのホームページでコンサートの生中継をする力の入れよう。この人、これからどのように受け入れられていくだろう。見ものだ。

2011年2月13日日曜日

ノーノとベートーヴェン

  1. ルイジ・ノーノ:カンタータ「断ち切られた歌」(ロシア初演)
  2. ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 作品92
イラン・ヴォルコフ指揮、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団ほか
2月13日 フィルハーモニー大ホール 19:00~

昨年の3月、ヘルシンキで聞いたイラン・ヴォルコフ。ものすごくきれいな棒を振る人で、その指揮姿が目に焼き付いている。今回、その印象が間違っていなかったことを確認した。指揮のお手本のような振り方で、棒の先が綺麗な線を描く。しかも決して大げさな身振りをしない。このテクニックは武器になる。

ただ今日のプログラムは、一体何を意図しているのか?ヘルシンキでヴォルコフと会食した際、「ペテルブルグから来ました」という話をしたら、「来年の2月、ペテルブルグでノーノを振るんだよ。なんでロシアでノーノなんだ(苦笑)」とこぼしていた。ということはヴォルコフが選んだプログラムではないのか。しかも一緒にやるのがベートーヴェンって…。

予想通り、オケがノーノの書法に戸惑っているのは明らか。新ウィーン楽派ですら崩壊しかかるのに、ノーノなんてほとんど未知の音楽だろう。でもそう考えると、ヴォルコフがひとまず音楽の形を整えるのに成功したことは、実はすごいことなのかもしれない。フィンランドのオケとか日本のオケなら、もっと完成度の高い演奏になっただろうけど、どんな曲かは十分知ることはできた。

のちのノーノの音響空間を先取りするような響きも聞かれるし、ウェーベルンの延長のようにも聞こえる。トランペット5本、ティンパニ2対、独唱者3人に混声合唱という大編成にもかかわらず、音楽は基本的に静粛の世界。聞いて決して心地よいものではなく、不安になってくる。でもその不安を共有することこそ、重要なのだろう。音楽を通じて突きつけられる「現実」。積極的に聞きたくなる音楽ではない。でも聞いて損したとは全然思わなかった。こういう「芸術」のあり方も必要だと思う。

演奏後、周りのお客さんたちが、「理解できない」「音楽とは思えない」と言っていた。正直な感想だと思う。間違っていない。それにしても、共産主義に理想を見出したノーノの代表作の1つが、作曲後半世紀以上経ってやっとロシア(本当は共産主義の総本山になるはずだった国)でも初演され、でもなかなか受け入れてもらえないという皮肉。

休憩後にベートーヴェンが演奏されたが、やはりノーノのあとに聞くとホッとする(笑)。でも演奏自体は、もうちょっと弦楽器が鳴ってほしいと思った。古楽奏法ではないのだから、ある程度の「重厚さ」が欲しい。マリインスキーのオケにしてもそうだが、ファースト・ヴァイオリンだけで6プルト、あるいは7プルトあるのに、なんでこんな薄い音しか鳴らないの、と思うときがある。録音だとごまかしがきくが、生で聞くと顕著。

終演後、楽屋にヴォルコフを訪ねてみると、去年ヘルシンキで会ったことを覚えてくれていた。素直に嬉しかった。

2011年2月6日日曜日

ショパン・コンクール入賞者のコンサート(1)~ダニール・トリフォノフ

  1. ヨーゼフ・ハイドン:ピアノ・ソナタ第56番ニ長調、Hob. XVI:42
  2. アレクサンドル・スクリャービン:ピアノ・ソナタ第3番嬰ヘ短調、作品23
  3. ヨハン・セバスチャン・バッハ(セルゲイ・ラフマニノフ編):無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータホ長調よりプレリュード、ガヴォット、ジーグ
  4. セルゲイ・プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第3番イ短調、作品28
  5. フレデリック・ショパン:マズルカ風ロンドヘ長調、作品5
  6. 同上:3つのマズルカ、作品56
  7. 同上:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調、作品58
ダニール・トリフォノフ(ピアノ)
2月6日 マリインスキー・コンサートホール 19:00~

昨年のショパン・コンクールの入賞者のうち、5位のフランソワ・デュモンを除く5人がマリインスキーのコンサートホールでリサイタルを行う。さすがに全員聞きにいっている余裕はないけど(そもそもショパンって、そんなに好きな作曲家でもないし)、何しろ全席250ルーブルという破格の安さなので、これを逃す手もない。とりあえず3人選んだ。

今日は初日。第3位のダニール・トリフォノフ。1991年、ニジニ・ノヴゴロド生まれ。顔にはまだあどけなさが残る。他のピアニストがショパンづくしのプログラムを組み中、一人いろいろな作曲家を取り上げた(だから聞きにいったのだが)。

最初はハイドン。実はハイドンのピアノ・ソナタって、CDも含めて聞くのが初めて…。お、いいかも。意外と華麗だ。と言っても、初めて聞くので演奏の魅力と曲の魅力の区別がつかない。ひょっとしたらハイドンにしてはモダンすぎるのではないかという思いも抱いたが、まあ大した不満ではない。

その後、スクリャービン、ラフマニノフ編曲のバッハ、プロコフィエフ、休息をはさんでショパンと聞いて、この人、かなりの技巧派だということが分かった。素人の耳には、ほとんどミスタッチが聞き取れない。対位法の描き方も上手くて、曲が立体的に感じられる。圧巻だったのはプロコフィエフ。若き日の作曲者の遊び心がこちらまで伝わってくる。プロコフィエフらしいモダンな和音、リズムと抒情的な美しさの対比が見事に描かれていた。

スクリャービンとショパンのソナタに関しては、もう少し暗いドロドロしたものも欲しいが、でもまだ20歳なのだから、そういう「難しいこと」を言ってもしょうがないという気がする。むしろプロコフィエフみたいな曲をじゃんじゃん弾いて 思いっきりピアノで遊んで欲しい。ハイドンを最初に持ってきたのは、自分は技巧だけのピアニストではないということを、誇示したかったからかもしれないが。

アンコールでリストのラ・カンパネラを弾いていたけど、これも全く危なげなし。う~ん、有名な国際コンクールの上位入賞者になると、これぐらいは楽に弾けてしまうのだなあ。よく考えてみれば、国際コンクールの入賞者の演奏を、コンクールが終わって間もない段階で聞くのは、これが初めてだったかも。