2011年8月27日土曜日

今井信子とヴォワラ・ヴィオラ

  1. ヘンデル/フォーブス:シバの女王の入場
  2. ガース・ノックス:Viola Spaceより、Pizzicato "nine fingers", Bow directions "Up, down, sideways, round"
  3. エディット・ピアフ:バラ色の人生ほか
  4. 西村朗:8つのヴィオラのための<桜>
  5. 武満徹:鳥が道に降りてきた
  6. J.S. バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番変ロ長調 BWV1051
今井信子ほか(ヴィオラ)、飯村智子(ピアノ)
2011年8月23日 えぽあホール(江別市民文化ホール) 19:00~

今井信子によるマスタークラスの発表会。以前も冬の小樽で似たような企画を聞いたことがある。今井信子は北海道が好きなのか。とりあえずこれが1000円というのは安い。

7人の若手奏者が参加していたが、ご多分にもれずヴィオラのテクニックも上がっているなあと感嘆したのが第一印象。特にアンサンブル・モデルンのメンバーになっているという笹川恵さん。上手い!こういう人に一体何を教えるのだろうという気がする。笹川さんほか、3人の若手で弾いたガース・ノックスのヴィオラ・スペースというヴィオラの特殊奏法の練習曲がユーモアに富んでいて、今回のプログラムの中で一番面白かった。

その一方、武満徹の作品が鳴りはじめたときに、今井信子も全盛期が過ぎたか?と思った。テクニック的には若手のほうが上手いかもしれない。ただ後半、鳴っている音がだんだん貫禄を帯びてくると、この人も、テクニック的には衰えても、「別のもの」を身につけるようになったのかもと思いなおした。それは人によっては「精神性」というだろうし、私なら「呼吸の深さ」というだろうか。今井信子自信は何と表現するだろう。より深い「愛」かな?

というのも、プログラムの中に「彼ら(生徒たち)の「愛」が舞台から、皆様にどうか届きますように」と書いてあったので。それは何か伝わった気がする。

2011年8月20日土曜日

札響、8月の定期演奏会

  1. ベンジャミン・ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム 作品20
  2. セルゲイ・プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調 作品26
  3. ヨハネス・ブラームス:交響曲第2番ニ長調 作品73
高関健指揮、札幌交響楽団、小川典子(ピアノ)
2011年8月19日 札幌コンサートホールKitara 19:00~

最近、ペテルブルグでのコンサート三昧の日々が懐かしくなってきた…。

なぜかオフシーズンであるはずの8月に定期演奏会。開演前に、指揮者の高関健氏のプレトーク。高関氏によると、ブリテンは当初、この曲に「レクイエム」以外の名称を与えることも考えていたフシがあるという。またこの曲は、日本の皇紀2600年奉祝曲として委嘱されたものの、「レクイエム」というタイトルのために演奏を拒否されたということで有名だが、実は単純にスコアが届くのが遅れて準備が間に合わなかったらしいとか、いろいろと興味深いお話。

肝心の演奏だが、ブリテンは遅めのテンポで丁寧に仕上げている。第2楽章「怒りの日」なんて、たぶん相当難しいはずだが、札響は危なげない。札響って上手いなあと改めて思う。そういえば音楽監督の尾高忠明はイギリス音楽が得意だったんだ。

でもなぜか物足りなさが残った。この曲が持っているはずの切迫感が伝わってこない。実はこの日の演奏会、3曲とも丁寧に仕上げているはずなのに、なぜか迫ってくるものがなかった。丁寧に仕上げすぎて、お行儀がよくなってしまったということか。

プロコフィエフにしても、小川典子のピアノともども、もっとプロコフィエフの「才気煥発」を感じさせてほしかったし、ブラームスについては言わずもがな。今の日本のプロオケにとって、ブラームスを破たんなく弾くなんて造作もないことだろうけど、問題はその先。ブラームスって難しいなあと改めて思った。日本のクラシックファンの間で未だに本場もの信仰が抜けなかったり、晩年の朝比奈隆が神格化されたり、ということも、この辺りと関係があるのだろう。

実はブラームスの第1楽章の最初のほうで、客席の後ろのほうで奇声を発する人がいた。すぐに出ていったので、それほど大きなことにはならなかったが。さすがに高関健が棒を振りながら怖い顔をして振りむいたが、第1楽章が終わった後、問題の人がいなくなったことを確認して、ニコッとして第2楽章を振りはじめたのが印象的だった。